廊下の隅、暗闇の中、鈍色に扉が光る。
 こつ、こつと靴音を静かに響かせ、影が一つ、ノブに手をかける。
 息を吸う音が聞こえ、続けてノブが回された。
 まるで何かを恐れるように、ゆっくりと扉は開かれる。
 部屋の中は薄暗く、天井近くには小さな明り取りがあるばかり。
「なのは、いい子にしてたかい?」
 どこまでも優しい表情を浮かべながら、影――ユーノは室内へと語りかける。
 この狭い部屋の中にただ一人、必ずいるはずの人へと向かって。
「あ……あぁ……はい、なのは……いいこにしてました……」
 ややあって、かぼそい声が薄暗闇から返る。
 その声ににこりと微笑み、ユーノは歩を進める。
 扉を開けると、コツンと音がして、置いてあった餌皿に当たった。
 中身は何も入っていない。
「うん、残さず綺麗に食べてくれたんだね。言う事聞いてくれてるみたいで嬉しいよ、なのは」
 汚れすらも舐め尽された餌皿を部屋の外へ出し、事務的な動きで片付ける。
「は、はい……ちゃんとぜんぶ、たべました……」
 なのはは服を着ていなかった。
 全裸でリノリウムの床へ放置され、汚れるままに横たわっていたが、その顔は幸せそうで、どこか熱っぽく、色気さえ感じさせた。
 胸部には喉から臍へかけての大きな傷跡がある。半年前の事故でついた傷だ。
 結局、完全に治療することはできず、この痕だけは残っている。
 なのはが身じろぎをするたび、ちゃり、と音がする。
 それは壁から伸びた金属製の鎖で、よくみればその先はなのはが唯一身に着けている首輪へと繋がっていた。
「うん、いい子にしてれば、毎日ご褒美あげるからね、なのは」
 そういってゆっくり近づいてくるユーノを見上げ、これから起こることを想像し、身震いする。
「あ、は、はぁ……ごほうび、くださいぃ……ゆーのくん……ゆーのくんん……」
 伸ばされた掌にうっとりとほお擦りし、ご褒美をねだるなのは。
 瞳は潤み、肌は紅潮し始め、雌の匂いをあたりに振りまく。
「駄目だろなのは、ボクの事はなんて呼べって教えたっけ?」
 怒るでもなく、優しく諭す声に、はっとなって振り仰ぐ。
 いたずらを見咎められた子供のように、一時しゅんとした後、改めて言いなおす。


「今日も、可愛がって下さい……私の、ご主人様……」


 愛してるよ、ボクの可愛いなのは……

 


 「なのはと愉快なご主人様」


        前日「前夜祭」

 

 

 ――コトに及ぼうとしたユーノの背後。扉の影に、気配を感じる。
「覗き見とはちょっと失礼じゃないか?」
 相変わらず趣味の悪い娘だな、と思いつつ、暗がりに声をやる。
 悪びれたふうもなく、す、と姿を見せる。
 黒いエナメルのスーツに長い金色のツインテールを垂らした少女。
 冷ややかな相貌の持つ落ち着いた雰囲気に少し圧される。
「別に。それに失礼かそうでないかとかいう話なら、あなたも大差ないじゃない」
 それは、そうだが。少し眉をひそめて、ため息をつく。
 どうも最近のフェイトは苦手だ。
 やけにボクに対してのみ突っかかってくるような気がする。考えすぎだろうか?

 そんなことを考えていると、背中に重みを感じる。
 エナメルの冷たさと頼りない肉の熱。耳元に感じる吐息に少し戸惑うが、
 彼女が自分を見ていないことは初めからわかっている。
「ふふ。なのは、元気にしてた?ちゃんと食べたのか心配になって来ちゃった」
 案の定、フェイトはボクを机か何か、台替わりにしてなのはに語りかける。
 なのはは縮こまった様子で、ぼやけた頭を必死で状況に対応させようと返事をする。
「は、はい、ご飯もちゃんと食べてます。フェイ…………ご主人様」
 冷たかった部屋の空気が少し軽くなる。
 首の辺りの重さが取れたような気がするから、おそらくフェイトは満面の笑みをたたえているのだろう。
 ……この扱いの差はなんなんだ。
「ん、素直でよろしい。いい子だね、なのはは」
 くしゃくしゃと、なのはの頭を撫ぜる。
 若干困惑の表情を浮かべるが、なのはは逆らうような真似はしない。
 いつもどおり、されるがままになっている。

「で、用事はそれだけなのかい、フェイト? ……今日はボクの番だって約束だろう?」
「抜け駆けゆーんは関心せんよな、うちとしても」
 なのはが半パニック状態であちらを見たりこちらをみたりしている。
 とてもとてもいやな予感がする。
 折角今日はなのはと二人きりになれると思っていたのに。
「べ、別に抜け駆けとかそういうんじゃ……はやてこそどうしたのよ」
 さすがに罰が悪いのか、多少どもりながらの応答。
「なのはちゃんに会いたくて、お仕事早めに切り上げてきたんや。
 ……したらフェイトちゃんも案の定、やしなぁ?」
 いたずらな笑みを浮かべて、はやてがくっ、くっと笑う。
 こういう笑い方をするときのはやては、大抵「楽しいコト」を考えている。
 すでにフェイトは両手でボクを床に押し付けるようにしていて。
 カーペット並みの扱いを受けながらボクは、こちらに向かってくる複数の足音を聞いていた。
 ……もう、いいや。

 

 


「こい、こい!」
「ババ引け、ババ……」
「ちょっと、順番守りなさいよね!」

 ……これは、どういう光景だろう。
 『第26回なのは一日独占権争奪ババ抜き大会』を見ながらすでにイチ抜けしたボクは、なのはの隣に座って、二人で茶をすすりながら悩む。
 狭い部屋にそれこそすし詰めになって、十数名がババ抜きを血眼になってしている風景は、一種異様というか……近寄りたくはない構図である。
 もっとも、さきほどまではボクもその中にいたわけではあるが。
「……ね、ユーノくん。」
 ずず、と茶をすすりながら、『景品』と書かれた看板を首から提げたなのはがこちらに話しかけてくる。
 目線でそちらを見ると、続けて、と察したようでまた話し出す。
「あの、みんな『ご主人様』って呼ぶと、誰が誰だかわからなくなっちゃうから……
 やっぱり、『ユーノくん』って呼んじゃ……駄目かな?」
 そんな言葉を聞きながら、また茶をひとすすり。
 湯飲みをす、と置いたあと、茶請けの金平糖をひとつ、なのはの口に放り込む。
 もごもごと舐めつつボクの様子を伺うなのはがあんまり可愛くて、頬が緩む。
 そんな自分をちょっと情けなく思いながらも、答えを返す。
「いいよ、なのはの呼びたい呼び方で。ボクは……君がそばにいてくれれば、それで幸せだから」
 くしゃくしゃと、精一杯ボクなりの愛情を込めて撫でてあげる。
 たとえどれだけ歪んでいても、これだけは本当だから。
 そんなボクを心底信じたような、とても安心した表情で、なのはは満面の笑みを浮かべる。
「うん、ありがと、ユーノくん!」


「うっしゃー!あがりやー!」
「ババ! ババどこいったー!」

 宴はまだしばらくかかりそうだ。
 二抜けしたはやてのためにもう一杯茶を入れながら、まぁこんなのも、悪くないかな、と思う。

 

 ここに、なのはがいるから。




  to be next day...

 







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