目が覚めると、ROの世界だった。


 話を聞く限り、僕は漁船の網に引っかかって、アルベルタの漁師に保護されたらしい。
 病院代わりに搬送された宿屋のベッドの上で、カプラさんが説明してくれた。
 以来三年間、必死に元の世界へ戻る方法を探している。
 最後に覚えているのは北海道へ渡るフェリーの上、逆巻く大波。
 客室の壁にたたきつけられた僕は、そのまま気を失ったのだろう。
 船は沈んだのかもしれない。
 だから僕はそんな、ロビンソン・クルーソーよろしく漂流なんてしていたのだろう。
 ここは何もかも常識が違う。
 一歩町の外へ出ればモンスターに襲われるし、生活するのだって大変だ。
 帰りたい、と思う。
 そりゃ恋人なんていないし、両親も既に他界している。
 向こうへ帰っても一人なのは変わらないけど、でも、こっちで一人でいるよりはいいと思う。
 どの世界だって余所者に冷たいのは一緒だ。
 すくなくとも元の世界なら、常識の通じないおかしな外人などと指さされることはない。
 他人と関わらなくなった僕は、自然元の世界に戻る研究と、学問に没頭していった。

 そうして、三年目だ。



とある世界の漂流者ドリフター

   かいたひと:ことり




セージになってみませんか?」
「は?」
 いやいやいや、何を言ってるんだこのジジイは。
 僕はマジシャンの修行を積んでいない。
 魔法を使うための技術、というかそのための基礎がまるでできていないのだ。
 普通はノービスの内にそう言うことを学び、マジシャンになってより奥深く勉強するらしい。
 SP、とかいうもので、技術を行使するために必要な、この世界の根源だとかなんだか。
 そういうものが一切ない僕には、皆が当たり前に出している明かり一つさえ出せやしない。
「セージというものは、何も強力な魔法使いを指す言葉ではないのですよ」
 目の前のジジイ……ジュノー大学院院長は話を続ける。
 そもそもセージとは、知力に長けた者を指す言葉であって、属性付与やランドプロテクターといった技術は後付けで定義された物だという。
 語源は『賢者』。
 大それた名前だが、そこに必ずしも魔法技術は必須とされていないそうだ。
「君には十分にセージとしての資格があると思います。ここに来てからの君の頑張りは皆が認める所でしょう。覚えていますか、君がここに来た日を」
 ……忘れるはずもない。
 身よりも知り合いもいない僕は、知識だけを求めて首都プロンテラからこのジュノーまで歩いて来ようとした。
 アルデバランへ向かう途中、強力なモンスターに襲われ、もうダメだと思った時、この院長の乗った馬車の一団に助けられた。
 勇気と無謀は違う、生きていたいなら知恵を身につけなさい、とその場で長々と説教を食らった事は今でも覚えている。
「君は立派に成長しました。私は君に、ここの教鞭をふるって欲しいと思っているのですよ」
「……は?」


 お笑いぐさでしかない。
 ここはこの世界でも知識の頂点だ。
 そんなところでどこまで行っても異邦人の、この僕が人を教えるだなんて。
 まるで犬猫が人間にものを教えるような、そんな滑稽な図が浮かぶ。
 あまりにも馬鹿馬鹿しくて断るべきだとは思ったけど……院長に頭を下げられてはそんなことができるはずもない。
 そんなこんなで気乗りはしないけど、こうして転職試験場であれやこれややっているわけだ。


 はらはらと目の前を、汚い布きれがゆっくりと落ちていく。
 ウィスパー、と呼称される低級な浮遊霊のなれの果てだ。
 僕の右手にはキンドリングダガーという特殊な製法の短剣が握られている。
 なにも魔法が使えないからこういった思念体と戦えないわけではない。
 魔法が使えないなら使えないなりに、他に方法はいくらでもある。
 人類はそうやって進化してきたのだから。
「……ふん、こんなもんかな」
 チンチンと鳴り響くチャイムに、実技試験が終了したことを知る。
 あんまり体を動かすのが得意ではないとはいえ、出てくるのがイモムシやらハエやらウサギやら、あまり強くない奴ばかりで助かった。
 ……ひょっとして手加減されてるんだろうか。
 まぁ、勝ちは勝ちだ。
 倒せ、と言われたのだから手段も問わず、課題をクリアしただけ。
 別に物理攻撃を使ってはいけない、などとは言われていないのだし。
 そんなことを考えながら、実技試験室のドアをくぐって外へ出た。


 あとの試験は特に苦労もなく、簡単に終わった。
 なんの冗談だかわからないが店で売ってるようなモノを集めてこいとか言われても。
 そりゃ時間はかかるかもしれないがあいにくと僕は時間をもてあましてる人種だ。
 アルデバランまで往復とか一週間もあれば終えてしまう。
 低級モンスターの素材集めなんかも同様に、時間さえあれば特に苦労するまでもない。
 まぁ、確かに時間はかかったから、セージ転職が待ちきれない人には苦痛なのかもしれないけど。
 そんなことをぐだぐだと考えながら、試験の最終課題、論文を書き終え、紙の端を揃えてトントンと、何度か机に落とした。



 ……失敗、したよなぁ……
 きゃあきゃあと騒がしい教室内を見渡して、誰に聞こえることもなくそんな愚痴がこぼれる。
 晴れてセージになった僕だけど、冒険者というわけでもないのでそのまま院に残った。
 院長になかば押しつけられるように、このクラスの担任になったわけだけども。
 ……担任、ていうかこれは……お守りだよなぁ……
 このクラスには孤児が集まっている。
 戦災孤児、不慮の事故、もろもろの事情による捨て子……
 要するに、僕の同類ということだ。
 厄介払いのつもりなんだろうか。
「はいはい、みんな座って、授業始めるよ−」
 なんかもう全部諦めた気分で、ぱんぱんと手を叩く。
 一向に収まらない騒ぎに、頭を痛めながら。


 子供は嫌いだ。
 遠慮なく人の領域に踏み込んでくるし、べたべたと触ってくる。
 何かあればすぐ泣くし、癇癪を起こせば手がつけられない。
 食事に嫌いな物が出ればべそをかいていつまでも手が進まない、
 孤児クラスには本当に小さな子からある程度大きい子もいるけれど、年の差など大した事ではなくて。
 どいつもこいつも本当に、手のつけられない悪ガキどもだった。
 頭を痛めない日はなかったし、教えたこともすぐ忘れて遊びに没頭される。
 みんなで歌を歌えばあまりの不協和音にみんなで大笑いし。
 ピクニックにでかければお弁当で口の周りを汚した子供にハンカチを当ててやる。
 鉄棒の逆上がりができないと嘆く子には、授業時間外に付き合って特訓してやった。
 喧嘩の仲裁に入ったら、喧嘩の原因は僕だった。いつから僕はお前らの所有物になったんだ。

 どいつもこいつも手のかかる奴ばかりで――僕は本当に子供が嫌いだ。




「――せんせー、あの……お世話になりました」
 子供は嫌いだ。
 だからこんな風に、もらい手が決まった子が院を出て行く度に喜ばしい。
「オレ……絶対にここで過ごしたこと、忘れないよ、大人になっても、ずっとずっと」
 子供は嫌いだ。
 いつだってうるさいし、手はかかるし、馴れ馴れしいし。
「オレ、ホントに……せんせーのこと、大好きだからさ」
 子供は嫌いだ。
 人の領域にまでずかずか入ってきて、必要以上にべたべたしてきて。
「せ、せんせー……せんせー、オレ、行きたくないよ。せんせーと一緒にいたいよ。ここがいいよ――ここが、好きだよ……」
 子供は嫌いだ。
 だっていつもいつも、こんな風に――僕を悲しませる。


 小さく遠ざかっていく姿を、いつまでも見届ける。顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら。










 そうしてまた、何度か日が落ちて、昇るのを繰り返す。


「せんせえ、これ難しいよ−」
「ローソクごと燃えちゃうよ、こんなの無理だよ」
 火術の練習。
 ローソクの先に火をつけるという授業。
 大抵の子は火力が大きすぎて、火をつけるどころか消し炭にしてしまう。
 はいはい、と形ばかりの笑顔で、みんなを輪にして集めて、真ん中に立つ。
 右手をすっと出して、精神を練る。
 この世のあり方を少しばかりねじ曲げてやると、ぼっと炎がともった。
 人の頭ほどの大きめの炎に左手をかざして、すっと目を細めると――たちまちに炎は小さくなって、ライターほどの小ささになる。
「いいかな、魔法は大きくする物じゃなくて、小さくする物なんだよ。魔法を使う者なら、解放よりも制御を覚えること。全ての基本なんだからね」
 いつしか僕は、当たり前のように魔法を使えるようになっていた。
 SP――スキルポイント。
 それは余所の地方ではマジックポイントだとか、マナとかいろいろな呼ばれ方をしている。
 でも根本は変わらない物で、空気中に当たり前のように混ざっているらしい。
 この世界で生まれた者は生まれた瞬間からSPを吸って生活する。
 大体7〜8歳ぐらいから、魔法などの技術を使う素養は整っていくらしい。
 つまり僕は、ようやく7〜8歳の子供になれたわけだ。
 ――この子達と同じ、よちよち歩きの子供だ。
「すっげー、せんせーかっちょいー」
「ねーねー、どうやんのどうやんの」
 口々にきゃいきゃいはしゃぎながら、近寄ってくる子供達に押しつぶされそうになる。
 はいはいと苦笑しながら、細かい方法を説明しようとすると、ぐんと後ろに引っ張られる。
 セージの衣装の背中側にはわっかがついている。
 誰がデザインしたんだか知らないが、どう考えても引っ張るためにあるんだろうと言わんばかりのシロモノだ。
 ……大体僕はセージの衣装は最初から気にくわなかったんだ。
 おなかとか丸出しだし、胸元とか足とか露出激しいし。
 ちょっと動くと見えそうになるし。
 いや可愛いけど。可愛いんだけど。
 ……本気で教授目指そうかなぁ。
「こ、こうかな……んぐぐ」
 仁王様も真っ青な顔で、子供達がめいめいに火を小さくしようとうんうん唸っている。
 それを見て僕は、ふう、とため息をついて。
 大嫌いで、大事な大事な、僕の子供達の成長を見届ける。

 それは明日も明後日も、ずっとずっと続いて、泣いたり笑ったり、僕の人生。
 辛くても苦しくても、僕はもう、がんばれる。
 僕はもう、異邦人でも孤児でもない。
 ここに居場所があって、たくさんの家族がいて。
 この世界が、僕の生きていくステージだから。


 パパ、ママ、ごめんなさい。もう墓参りしてあげられません。


「せんせー、早く早く」
 はいはい、と返事をして、立ち上がる。
 忙しい日々は終わらない。
 空を見上げて、ぽつり、と呟いた。



 ――このROの世界に、ありがとう。

 



          fin.

 







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