郊外の鉄塔下。
 訪れるものもなく、あたりは静まりかえる。
 月は高く、時刻も既に夜。
 人も鳥も虫も草木すらも、すべての息づかいが感じられない異常な空間。
 世界の存在を最初から否定したような、そんな地獄で、影が二つ、踊っている。
 一つの影は光を放つ。
 宵闇を切り裂いて、全てを照らし出す、華やかな閃光。
 一つの影は光を飲み込む。
 闇こそが世界であるといわんばかりに、生まれたばかりのまばゆい光を片っ端から飲み込んでいく。
 光と闇の抗争。
 まるでおとぎ話のように、二つの影は踊る。
 それが運命であるかのように。
 薄い月明かりの中、二つの影は踊る。
 
 それが、運命であるかのように。

 

学園都市七不思議 その一「意地と勝負と恋心・下」

      かいたひと:ことり

 

「アンタ足が動いてないんじゃないの、最近運動不足でしょ」
 夜の闇に声が響く。言葉と同時、稲妻が閃いて。
 全てを貫かんと突き進む光の槍は、踊る影のもう一方へと襲いかかる。
「ダイエットって興味ねえからなぁ。男は体重あったほうがいーんじゃねーの?」
 もう一方の声の主は、そう言って右手を薙ぐ。
 500億ボルトにも達する超高圧電流は、ただの腕の一振りで消え去った。
 表情は余裕が見て取れて、まるで世間話をするような、そんな雰囲気でしかない。
「そういって余裕こいてるやつがメタボ体型とかになるんじゃないの。出っ張ったお腹とかみっともないわ……よっ!」
 前髪が揺れる度、あたりが昼になる。
 一撃が一撃が空気に触れる度、その恐るべき電気量は高温を発し、周囲の気温を引き上げる。
 10月も終わりだというのに、あたりは真夏の昼のように暑い。
 稲光に照らされた影はまだ年端もない少年と少女。
 少女は一撃が即死につながるような攻撃を何度も何度も繰り返す。
 全てが必殺と言える威力を持っていながら、そのことごとくが少年に届かない。
 少女はこの学園都市でも7人しかいない超能力者の第三位に位置していた。
 そのようなものを相手に、名もなき無能力者の少年は苦もなく攻撃を防いでいく。
 ――幻想殺し。
 異能の中の異能。
 彼の右手は異能の力であれば全てを打ち消す。
 それがたとえ神の奇跡であっても。
「そういわれるとちょっと考えるかもな−。御坂、なんかいいの教えてくんない?」
 軽いバックステップで地面へ突き刺さる砂鉄の槍を避ける。
 一瞬後に砂へと戻る槍は、深々と爪痕を残して風に消え去っていった。
「そうねー、水泳とかいいんじゃないの。変な筋肉とかつきにくいし」
 攻撃を続ける少女の口調にも陰は一切ない。
 ただ仲の良い友達へ話しかけるような、そんな調子でありながら、無造作にクレーターを作り出す。
 右手を振り上げ、夜空の月を指さすと、その指の延長上に大量の砂鉄が渦を巻いて集まっていく。
 空間に凝縮された大量の砂鉄が巨大な鉄球を形作る。
 無造作に下ろされた指先に合わせ、恐ろしい勢いで少年へと襲いかかった。
「いー……よっと」
 まるで買い物かごでも掴むような、そんなかけ声。
 声と共に突き出された拳は、直径4メートルにも及ぶ鉄球を易々と打ち抜き、何の変哲もない砂鉄へと戻した。
「あー、プールもいいな。今年の海はさんざんだったからなー。御坂、一緒に行くか?」
「え?」
 少女の足が止まる。
 明らかに浮ついた様子で、それまでの俊敏な動きは見る影もない。
「あ、あああ、あー、そそそうね。フィットネスクラブの会員証ならあるから、確か会員の紹介なら格安で入れた……かな」
 しどろもどろに話す少女の周りに、火花が散る。
 能力を制御しきれずに漏れ出る電気の欠片だ。
 それだけ少女が動揺しているという証拠でもある。
「そういやお前も最近肉付きよくなってきたもんな、どうせなら一緒に――ってミサカさん?」
 肌がピリつく。
 周囲の空気が残らず帯電を始め、ぱしん、ぱしんと時折音が響く。
 目の前の少女は押し黙り、俯いて、何かを耐えるように。
 澄んだ高い音が鼓膜を揺るがして届く頃、少女の頭上に光るリングが現れた。
 まるで天使の輪のように頭上を頂くそれは、徐々に輝きを増し――膨大な熱をあたりに放つ。
「ちょ、まて御坂、また地形変える気かおい!?」
 叫ぶ少年の声も届かない。
 リングの立てる音はさらに増し、爆音と言って差し支えないほどになる。
「だ」
 少女の口が動いて、言葉を紡ぐ。
 それはこの爆音の中でさえ耳へ届き。
「だ、れ、が――」
 粒子加速装置(サイクロトロン)。
 極小のそれを頭上に生み出した少女は喉の奥から絞り出すように、息を言葉にして吐き出す。
 回転する荷電粒子は直視できないほどに光を放ち、全身に見えない圧力をかけてくる。
「だれが太ったっつーんじゃこのボンクラあああああああああっ!」
 刹那、破壊の嵐が巻き起こる。
 天使の輪から放たれる光は、触れるもの全てを対消滅させ、文字どおりこの世から消し去っていく。
 風が吹くほどの短い時間の後。
 裁きの閃光は地面を大きくえぐり、地割れにも見える大穴があいていた。
 少女の目の前にはもはや何も残っていなかった。
 ――その少年との間には。
「あああイラつく!」
 そういって少女は地面を踏みにじった。
 不機嫌を隠しもせず、少年に向かって怒鳴り散らす。
「陽電子砲まで防ぐとか馬鹿じゃないの!? どんだけデタラメなら気が済むのよ!」
 そう吐き捨てて指さす先には、右手をかざして硬直する少年。
 気のせいか足は細かに震え、目尻には光るものが浮かんでいる。
「だからオマエそんなもん人に向けて撃つなっつったろ!? 死んだらどうすんだよ!?」
「どーせ効かないんだからいいじゃない」
 少年の必死の抗議もどこ吹く風か、後れ毛をかき上げる少女は未だ胸の内収まらぬ様子で。
 ぱんぱんと服についたほこりを落とし、気を落ち着かせたか、改めて少年に向き直る。
「なー、こんだけやったんだし、今日はもう終わりにしよーぜ。時間も時間だし」
 左腕に巻き付いた時計を見ながら少年が提案する。
 時刻は9時を回ろうとしていた。
 夕食を作らなければならないので、もっと早くに帰りたかったのだが、移動に時間がかかってしまった。
 少女の攻撃力が最近加速度的に上がってきてるので、町の空き地などでは周囲に被害が出るのが明らかなのである。
 人の身ゆえの低出力とはいえ、町中で陽電子砲など放てば、ビルのふたつやみっつ、軽く消滅するのは想像に難くない。
「馬鹿いってんじゃないわよ。ここまでは肩慣らし。今日の本命はこれからなんだから……!」
 そういって、少女は両の手のひらを合わせる。
 ぱん、と音がした後、ふわふわとうかぶ毛玉のような、静電気の固まりがいくつも出てきた。
「……浮遊機雷? こんなんだしてどーすんだ」
 風に流されて漂ってきた毛玉を一つ右手で打ち払う。
 毛玉は本来の効果を発揮することなく、儚く瞬いて、夜風に散っていった。
「アンタが相手じゃ意味薄いかもしれないけど、ま、保険よ保険」
 浮かぶ毛玉は近づくものに反応して襲いかかる。
 全自動の侵入者撃退装置とでもいうものか。
「悪いんだけど準備に時間がかかるのよ。ちょーっと待っててね」
 そうして少女は右手を高々と天に向ける。
 手のひらからは短い、ダガーほどの長さの電気の固まりがじわじわと姿を見せて。
 瞳を閉じて少女はひたすらに集中する。

 思い浮かべろ。計算しろ。形作れ。
 一個の完全な固まりを、2つ、3つと増やす。
 いくつかを集めて、一つの役割を果たす。
 部品と化したものをまとめ、つなげて設計図を成し遂げる。
 思い浮かべろ。計算しろ。形作れ……

 脂汗すら浮かべる少女の脳内では、それこそスーパーコンピューター並みの計算が行われている。
 彼女は学園都市の第三位。それはすなわち、学園都市でも指折りの頭脳の持ち主、ということだ。
 いつしかダガーは、ショートソードほどの長さを持つ。
 手のひらから生えたそれを、ぶん、ぶんと2、3回振って。
 調子を確かめた彼女は、ふう、と息をつき、唇をきゅっと結ぶ。
「……いくわよ!」
 いつも作る砂鉄の剣よりも遙かに短い。
 それだけに近づかなければ当てられない。
 鞭のような読みにくい軌道でもない。
 どれだけの威力が秘められているのか、少年には予想もつかないが――
 生身で受けていいような代物でないのだけは想像がつく。
 右肩を前に出し、正眼に右手を構えて、迫り来る少女の一挙手一投足を見逃さないように注意深く見る。
 なにもあの短剣で攻撃してくるとは限らないのだ。
 間合いを計り、軸足のかかとを意識して、体重を散らす。
 この瞬間に背後から襲われてもなんら不思議はない。今までがそうだったのだから。
 錯綜する思惑を余所に、少女はまるで無策に突っ込んでいく。
 振り上げた剣は雷のように揺らいだりせず――確固たる形を持っていた。
 軌道を先読みし、右手をこきん、と一度鳴らす。
 決死の形相の彼女が間合いへ踏み込み、手にした剣を振り下ろす――
 単純な軌道。単純な速度。単純な攻撃。
 この程度なら何の問題もなかった。
 ただ剣の軌道に右手を滑り込ませ、進行を妨害する。
 それだけで剣は霧散し、彼女の攻撃は防がれる――はずだった。
「――なっ!?」
 剣は未だに輝いていた。
 触れる異能の力全てを打ち消す、幻想殺しに直接触れて、なお。
 少年はいつかの炎の巨人を思い出した。
 打ち消すそばから再生する、魔術の結晶。
 しかしこの剣は再生していない。
 確かに剣は消滅していっているのだ。
 ただし、じわじわと――本当にゆっくりと、時間をかけて、少しずつ。
「――っ、熱っ!」
 耐えきれずに手を払う。
 受け流された少女は2、3歩たたらを踏んで、一度地面を蹴って飛びずさる。
 短剣は先端を大きく失ったものの、未だ右手の先に輝いていた。

 ――いける!

 そう判断して、彼女は再び目を閉じる。
 演算。演算。演算――
 ショートソードが伸びていく。
 短剣から片手剣、長剣、大剣へと長さを増していき――長さ3メートルほどにまで伸びる。
「……『ロンギヌスの槍』とでも名付けておこうかしら。単に今やってるゲームで最強の槍なんだけど」
 神の子殺しの槍。
 伝承にある、ゴルゴダの丘で神の子を刺し殺した、伝説の魔槍である。
 兵士ロンギヌスが持っていた槍は、何の変哲もない、兵士に支給される兵士槍でしかなかった。
 当たり前のことだが、神の子は通常の兵器などでは小指の先ほども傷つけられない。
 霊装でもないただの鉄の固まりが、なぜ神の子を貫くことができたのか。
「アンタ数の押しに弱いでしょ。こないだのガトリング使った時にちょっと気づいたんだけど」
 連続した一つの雷撃でなく、単発、しかも秒間2万5千発の雷撃。
 それをことごとく防いだ幻想殺しは、膨大な数の雷撃を処理しきれず、ほんの薄皮一枚、押されたのを、少女は見逃さなかった。
 幻想殺しは異能を解析・解呪することで効果そのものを消し去っている。
 そう仮説を立てた少女は、解析に時間がかかる異能を使う、という方法を考えた。
 少女は腕のいいハッカーでもあった。
 電気信号を巧みに扱い、電子の海を自由自在に泳ぎ回る。
 その海は全てが0と1で表現されていた。
「ただのゴミデータを詰め込んでもよかったんだけど……それじゃ芸がない気がしてね。ヒトゲノムを全解析して、細胞ひとつひとつから神経、血液に至るまで――雷で人間を表現してみたんだけど」
 神の子は槍に刺されて死んだわけではない。
 ロンギヌスの槍は神の子の死を確認するために使用された鉄の固まりでしかなかった。
 神の子を本当に殺したのは――大勢の人間の悪意。
 神の子を殺したのは、神のひとり子であると記された――ただの人間だったのだ。
 雷で表現された人間。
 それは気まぐれと偶然とはいえ、まさしく本当の意味での神の子殺しの槍。
 その姿は雷にして雷にあらず、神々しいとまで表されるまばゆい光を放つ、唯一無二の霊装。
「これで――終わりにしてあげる!」
 叫ぶと同時、少女の手から光の槍が放たれる。
 音速の域を軽く超え、圧倒的な破壊をもたらすために。
 そんな刹那の時間でありながら、少年はいくつもの選択肢を脳裏に描く。
 幻想殺しですぐに消えないのは先ほどで立証済み。
 あの勢いを殺せるとも思えない――つまり、避けるしかない。
 そう考えて、上体を捻ると、そこには――
「浮遊機雷!?」
 後方と左右、隙間なく静電気の固まりが浮かぶ。
 右手にとっては何の障害にもならないが――数が多すぎる。
 先ほど浮かべた機雷は、このためのものだったのだ。
 逃げ場をなくし、右手で槍を防ぐしかない状況を作り上げる。
 それが少女の目的で――
「ん――な、ろォォォォォォっ!」
 轟音。
 とてつもない光量をあたりに放ち、突き出した右手が槍の先端と接触する。
 全体重を前に、この一撃に全霊をかける。
 唯一の武器にして絶対の盾である、己の右手を信じて――

 

 少年の思惑を余所に、少女は勝利を確信する。
 このために編み出した、いわば対幻想殺しとでも言うべき武器だ。
 一瞬で消されることのないその槍は、やがて右手の力を振り切り、そして――

 ――そして……どう、なる、の?

 その先にあるのは、当然の結果。
 神の子を殺した、鉄でできた槍は、結局、人を殺すために作られたのだから。
「ぐ――おおおォォォォォォっ!」
 咆吼があたりに木霊する。
 右手首を左手で支え、直視することも困難な、雷の槍を睨み付けて。
 幻想殺しは、槍を確かに受け止め、わずかずつではあるが、消し去っている。
 今までと同じように。異能の力、全てを打ち消して、彼に勝利をもたらしたように。
 ぴしり、と音がした。
 それが何の音かは分からない。この轟音の中、聞こえる音量とも思えない。
 しかしその音を聞いた瞬間、右の手のひらから鈍痛がした。
 手首の先があり得ない方向へひん曲がるのを見て――
 次の瞬間、右胸にすさまじい熱を感じる。
 それはあっという間に全身を駆け巡り、意識を根こそぎ奪い取っていった。
「が――はっ!」
 喉の奥から、何か熱いものが噴き出た。
 しかし少年はそれが何かを認識する間もなく――鈍い音を立てて、地面へ横たわった。
 そして再び、静寂が戻る。
「……あ、あ……?」
 人気もない郊外の鉄塔下、そこにはただ少女がいるだけで。
 目の前には大きく穴のあいた右胸から大量の血を流し、横たわる肉塊。
 命を失い、自然へと帰ろうとする、ただの細胞のかたまり。
 それを見て少女は、ようやくに理解する。
 自分が勝つと言うこと。
 その結果がどういう事か。
 そして自分は今それをしてしまったのだ、と言うことを。
「い……いやあああぁぁぁぁぁぁ!」
 寒空に悲鳴が響き渡る。
 こんな、こんなはずじゃなかった。
 自分はもっと、誰もが笑って迎えるハッピーエンドを望んでいたのに。
 終わりを迎えた少年と少女の戦いは、微笑む勝利の女神などどこにもいない。
 取り乱しながら少女は駆け寄る。
 もう喋ることもないその抜け殻に。
 まだ形を残しているその手を掴み、何かを祈るように、両手で包み込む。
「――とう、まっ――! 当麻、死なないで――!」
 
 10月も終わり、虫の声も途絶え、あたりは静寂が包み込む。
 人気もない郊外の鉄塔の下、そこにはただ少女がいるだけで。


 消えてしまいそうな切ない叫びが、いつまでも響いていた。

 

 

 

 

 


 小さな電子音が耳に届く。
 ぴ、ぴと規則的に聞こえる音が気に障り、まどろんでいた意識が徐々にはっきりとしてくる。
「……ん」
 眩しい。
 それが最初に思ったことだった。
 真っ白い天井は窓から入る日の光を反射して、まばゆいほどに輝いて。
 眩しさに首をそらすと、横に大きな影が見えた。
「気がついたようだね?」
 声の主は、もう顔なじみになってしまった――カエルのような顔をした、白衣の医者だった。
 何度も何度もお世話になってしまって、申し訳ないな、と苦笑する。
「そういつもいつもこの部屋が開いてるわけじゃないんだから、ちょっとは考えてもらわないとねぇ。今度から家賃でも徴収しようかと考えてるんだけどね?」
 入院費の他にまだ取るのか、と上条はげんなりした。
 ジョークのつもりではあるのだろうが……洒落になっていない。
 貧乏学生である上条には平謝りで勘弁してもらいたい事柄だった。
「ま、もう肉体的には問題ない所まできたようだから、心配しないでいいよ。それよりも……そっちの方が大変なんじゃないかなぁと僕は思うけどね?」
 そういって指さす先には――まぶたを真っ赤にはらして、すうすうと寝息をつく、美琴がいた。
 すぐ横で、上条の左腕を枕にして、何かにすがりつくように。
「もう大丈夫だから帰りなさい、といっても聞く耳持たず。君の意識が戻るまでかれこれ5日だよ? その間片時もそばを離れようともしない」
 そう言われて、複雑な思いで美琴を見る。
 勝負勝負と飽きもせず、自分にくってかかった少女。
 絶対勝つんだと息巻いて、何度も返り討ちにされて。
 右胸を貫いた熱を鮮明に思い出す。
 御坂はもう、勝ったのに――なぜ、まだこんな、無能力者のそばにいるのだろう。
 こんな、泣きはらしたようなまぶたで、寂しそうにしがみついて。
「ま、その辺は僕が口出しする事じゃないから、あえて何も言わないよ。君たちの事情ってものもあるだろうしね?」
 そういってカエル顔の医者は、白衣を揺らして、出口へ向かう。
 右手を後ろ手に振り、左手でドアを開いて。
「じゃあ、お大事に」
 ぱたん、と閉まる音を最後に、病室には再び静寂が戻る。
 風に揺らめくカーテンからは、時折日の光がまろび出て、涼しげな空気を送ってくれていた。
 少し、左手にしびれが走っている。美琴が乗っかっているせいであろう。
 右肘を立てて、ゆっくりと慎重に左腕を引き抜く。
「ん……」
 それでも動きが気に障ったか、小さな声と共に、美琴がうっすらと目を開ける。
 数度瞬いて、目の前の……何でもないような調子で、本当に何もなかったというような風体の上条を不思議そうに見る。
「あー……悪い、起こしちまったか」
 かける言葉には、本当に自分が悪かったと、反省の色が濃く現れて。
 けれど美琴は反応しない。
 何かに取り憑かれたように上条の瞳をのぞき込んで、ただじっとしているだけ。
 その様子に妙なものを感じて、上条は唇を歪める。
「御坂、お前どうしたん――でっ!?」
 ぽろ、ぽろと。
 大きな、大きなしずくがひとつふたつ、美琴の瞳から零れ落ちる。
 あとからあとからあふれ出るそれをぬぐおうともせず、美琴は上条の顔をじっとにらみ続けて。
「とう……ま?」
 ぽそっと、消えそうな声で囁かれたのは、他ならぬ自分の名前。
 ただならぬ雰囲気に押されて、かろうじて返事をする。
「お……おう」
 声を聞いた美琴は、眉根を歪ませて、ぼろぼろと声無く泣き続ける。
 一瞬置いて、襲いかかるように、上条の胸に飛び込んだ。
 何が起こったのか理解もできない上条は、ただひたすらに困惑して。
 なすがままに、美琴のすることを見守っているだけだった。
「とう……ま、ぁっ! とうま、とうまとうま……とう、まぁ……」
 泣きじゃくる少女は、何度も何度も名前を呼ぶ。
 アイツだの、アンタだの……自分の名前をまともに呼んだことのない彼女が。
 とりあえず右胸に走る激痛を何とか気力で押さえ込んで、左手で肩を抱く。
 右手を差し出して、涙をぬぐってやった。
 それだけのことに、彼女はひどく驚いて。
 ぬぐったにもかかわらず、倍ほども涙を零し――顔を胸に埋めて泣き出した。
「ご、ごめ……ごめんな、なさ……とうま、とう、ま、ごめんなさい……!」
 なぜ美琴が謝るのだろう。
 勝負を受け続けたのは間違いなく上条の意志で。
 心のどこかではいつかこんな時もあるだろうとは思っていた。
 それは町中で不良に絡まれるのとさほど違いはなく、上条にはただ普通の日常。
 美琴が謝る事なんて、これっぽっちもないのに。
 なぜかが分からない上条には、かける言葉が見つからない。
 ――だけど。
「……大丈夫だよ、御坂。もう、大丈夫だ」
 どうしてかなんてわからない。だけど、ただ、目の前の女の子に、これ以上泣いてなんか欲しくなかった。
 どうしたら泣き止んでくれるのかなんてわからないまま、言葉を選び、口から出てきたのはそんな、つまらない言葉。
 いまほど自分の頭の悪さを呪ったことはない。
 どれだけ気の利いた言葉を考えても、その程度しか出てこないのだから。
 気持ちに言葉が追いついてこない。
 この涙を止めるために、自分は一体何をすればいいのだろう。
 わかるはずもなく、彼は考えるのをやめて――静かにその華奢な体を抱きしめた。
 細い肩がぴくんと動く。
 震える体をいたわるように抱きしめ、優しく頭を撫でて。
 頭の悪い自分にはこれぐらいしかできないのだと、半ば自嘲しながら。
 できる限りに優しい動きで、威勢の割に小さい、美琴の頭を撫でていく。
 ひっくひっくと、いまだにえづきながら、美琴は上条の顔を見上げ、ようやくに声を絞り出す。
「……許して、くれる、の……?」
 それこそ訳が分からない。
 美琴は許してもらうようなことは何一つしていないのに。
 返事の代わりに――もう一度ぎゅっと抱きしめ、頭を撫でてやる。
 お前は、何も悪いことなんてしていないんだと。
 もっと、器用な男になれたらいいのにな、と思った。
「……アンタが死んじゃうかもって思った時、すごく苦しかった。ベッドで眠り続けるアンタを見て、ずっと辛かった」
 だから、と彼女は続ける。
「謝るから、ゴメンっていうから――私を、私のこと、嫌いにならないで――」
 まるで我が儘な子供のように。
 涙目で見上げる彼女の目は、まるで真剣で。
 たぶん勘違いなんだろうと思うけど、それでも少し、嬉しくなる。
 人からはまるで不幸を呼び込む疫病神のように、忌み嫌われた自分だからこそ。
 人を嫌いになんて、なりたくはない。まして、目の前の小さな小さな女の子を嫌いになど――なりたくはない。
「嫌いになんてならない。俺は御坂のことが好きだよ」
 友達、という意味で。

 彼は本来、人と一緒にいていい存在だとは思っていなかったから。
 近づけば誰も彼も、不幸にしてしまう。
 かつて自分を遠ざけた、父と母のように。
 だからこそ彼は、誰よりも人と繋がりを持ちたがる。
 それが自分にとって禁忌だとしても。
 しかしその言葉が彼女の耳にどう届いたのか。
 美琴は今しがた届いた言葉にしばし硬直する。
 これ以上はないほどに驚き、目をまん丸に見開いて。
 一度泣き止んだ瞳が、また泉のように涙を溢れさせる。
 いつから御坂はこんなに泣き虫になってしまったのか。
 そんなことをどこかで思い出しながらいると、美琴の顔が不意に近づき、気がついた時には――唇が触れあっていた。
 不器用に、前歯がかちん、と音を立てる。
 ベッドに寝転ぶ上条は、抵抗らしい抵抗などできずに、ただ成り行きを見守るだけで。
 2度、3度と唇が触れあう。離れては吸い付き、舌を絡めてはまた離れて。
 ぽた、ぽたと美琴の澄んだ瞳からしずくが零れ落ちて、上条の頬にかかる。
 春の雨のように、暖かなそれは、あとからあとから、いくらでも溢れてきて。
 やっぱり泣き虫だな、とそんなことを思った。
「私も……わたしも、すき。とうまが、すき!」
 そう告げて胸にすり寄る御坂を、なんだか可愛く思う。
 今まで人に嫌われる人生だったからか――その言葉が本当に胸に沁みる。
 素直に、嬉しい、と思う。
 ――だが、それはそれとして。
「……その、御坂、いい、かな……ちょっと傷が痛むんですけども……」
 我慢できないほどではない……とは言い難い。なにしろついさっきまでは意識不明の重体だったのだから。
 けれど美琴は離れない。
 なんだかちょっと頬を膨らませて、いっそうに胸にすり寄ってくる。
 ……難しい。本当に女心ってのは難しい。
 世界ってのはよっぽどうまくできてないんだなぁと、しみじみ痛感した。
「……っておい!? なにしてんだ御坂!?」
 さっきからもぞもぞと動いていた手は、どうやら上条の寝間着のボタンをぷちぷちと外していたようだ。
「……ったもん」
 小さな、本当に小さな声。
 頬染めて、うっすらと涙を目にためて。
 上条の抗議も無視して、もぞもぞと衣服を脱がしていく。
 ガーゼと包帯でぐるぐる巻きにされた胸をさらけ出された。
 すりすりと、手のひらで優しくさすって。
 ようやく見つけた宝物のように、大事そうに触れる。
「……勝ったもん」
 静かな部屋で、ぽそ、と零れる小さな声。
 ようやくに聞き取った言葉は、そんなもので。
「わ、私が勝ったんだから……アンタは今日一日、私の言うことを聞くの」
 そういえばそんなものもあった……ような気がする。
 なんだかもうずいぶん昔の話のような気もするが。
 またどうせこの我が儘娘は、何を言っても聞かないだろう。
 すべてを諦めたように、深くため息をつく。
「はぁ……わかったよ、なにすりゃいーんだ。言っとくがこんな体なんだから、そんなには――」
「――して」
 一瞬、耳がおかしくなったのかと思った。
 けれどじっとこちらを見つめる美琴の瞳は潤みながらも真剣で。
「私――アンタが好き。どうしようもないくらい好き。好きなの……だから、だから――して」
 人に近づいてはいけないと教えられた。
 近づく人は誰も彼も自分を見て嫌悪の表情を表した。
 ゆえに――その言葉が本当に自分に向けられたものなのか、まるで実感がわかなかった。
 自分を好きだと、言ってくれる人がいる。
 なら、自分は……人を好きになってもいいのだろうか。
 ただ、そばにいる。
 それだけのことが許されなかった自分が――
「とうま……好き。大好き……」
 再び唇が触れあう。
 ねっとりとした熱が隙間をすり抜け、奥深くまで差し込まれる。
 とろり、と音まで聞こえそうにやわらかい、とろけそうな熱。
 全身の神経がそこに集約したような、途方もない恍惚。
 ぽた、と頬に暖かいものが零れ落ちた。
 胸の内が切なくなるのを感じる。
 もう、泣いてなんか欲しくないのに。
 どうしたら、この少女は笑ってくれるのだろう。
 自分はただ、それだけができないでいる。
 こんな時には右手に宿る異能の力など、欠片ほども役に立たない。
 自分の無能に心底呆れながら。それでも彼は、できることをやろうとした。
「え、あ……きゃっ」
 左手を背中へ回し、肩を少し出す。
 ただそれだけで美琴の軽い体はひっくり返り、上条は覆い被さるような位置を取った。
 右胸と右手首に激痛が走る。
 ともすれば気を失ってしまいそうな意識を、必死でつなぎ止める。
 これは、人を好きになろうとしている自分への、罰なのだと――だから、耐えることが試されているのだと。
 痛む右手を差し出して、美琴の頬をそっと撫でる。
 目を細める彼女のまなじりから、またひとしずく、流れ落ちる。
 それを見て、自分を情けなく思いながら――同時に諦めて、右手を動かす。
 首筋を撫で、耳をこそぐり、鎖骨に指を当てて。
 できる限りに優しく、いたわり、ほぐすように。
「ふ、あ……ちょ、あ、アンタ、怪我は……」
 痛くないわけがない。ただ普通にしているだけで脂汗がにじみ出てくる。
 心臓はうるさいほどにせわしなく動き、頭の芯の方ではがつんがつんと教会の鐘が鳴り響いている。
 傷が開くことだって十分にあり得る。そうなった場合、また再手術の可能性だって決して低くはないだろう。
 ……だが。

 ――それが、なんだ?

 痛みに震える右手をねじふせて、美琴のシャツのボタンをぷち、ぷちと外していく。
 あくまで平静を装って。
 子供向けのような、素っ気ないデザインのブラの表面を撫でる。
 さらさらとした感触がして、いくらか頭が冷えてくる。
 歪む眉根を隠すように、鎖骨のあたりへと唇を落として、ちゅ、ちゅとついばむ。
「は……あ、あっ……」
 弱々しいうめきのような、微妙な吐息。
 少し震えながら、美琴が何かを探すように、両手を挙げて。
 そのまま首筋に回された手は、抱き込むようにぎゅ、と締め付ける。
「とうま……とうまぁ……」
 甘えるような濡れた声。
 自分のすることが、わずかでも救いになるならば。
 指を引っかけて布地をずらし、なだらかな丘に口づけする。
 舌を這わし、頬を埋めて、肌の香りを胸一杯に吸い込んで。
 痛みとは違う、甘い痺れが脳髄に走る。
 たまらなく、もっと欲しくなって、ふるんと揺れるその肌に夢中になって。
 頂にある果実を貪って、その都度反応を返す美琴を可愛く想う。
 おそるおそるに、右手を下へと動かす。
 壊れ物を扱うように細心の注意を払って、するすると短いスカートをたくし上げていく。
 聞こえる美琴の息づかいは、なんだか熱を増したようで。
 こんなことをしていいんだろうかと、罪悪感さえ浮かんでくる。
 そう思ってもやめられない。自分が、やめたくはない。
 いつの頃からか。美琴が短パンをはくのをやめたのは。
 きめ細かな感触の太股を上にになぞり上げていけば、そのまま指先に薄い布が触れる。
 目を薄め、こちらを見つめる美琴の目に拒絶の光はない。
 そのまま指にかけて、静かに、ゆっくりと引き下ろしていく。
 はぁ、と息を吐いて、美琴がわずかに腰を持ち上げる。
 心臓がうるさいほどに音を立てる。
 悪戯がばれるのを恐れる子供のように、ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で繰り返す。
 抵抗もなく、薄い布地はするするとつま先から抜き取られていく。
 ごくり、と喉が鳴った。
 甘い匂いと目の前にその光景に、頭がくらくらする。
 ……当たり前だが、自分だって初めてだ。
 今までさんざん自分に突っかかってきた少女。
 近所の悪ガキ程度にしか思っていなかったその娘が――こんなにも女だった、なんて。
 脳が酸素を求めて呼吸を荒くする。
 ここがどこだったか、いつだったかなんて事すらわからなくなって、夢中に目の前の裸体に唇を落とす。
 わずかに汗をかく下腹部に、頬を寄せ、舌で嘗めあげて。
 花の蜜に吸い寄せられた蜂のように、ただそれだけを考える。
 すっと白い内股に手を当てると、小さな身体がほんのわずか、こわばった。
「――だめ、か?」
 それならそれでかまわないと、美琴の目を見つめ、問いかける。
 真っ赤に茹で上がった美琴はしばらくわたわたとしていたが、やがて覚悟を決めたようで、一言だけ返す。
「だ、めじゃない……けど……」
 その答えだけで、十分だった。
 不器用に、けれど精一杯に微笑んで、くっと白い太股を押す。
 それだけで、軽い身体はいとも簡単にひっくり返る。
 小さい悲鳴を耳に留めながら、目の前に晒された少女の可憐な花びらにしばし見惚れる。
「やっ……こ、こらぁっ、あんまり、じろじろ……見るな、ぁっ……!」
 足をじたばたと振りながら、真っ赤になった頬を両手で隠し、弱々しい抗議の声。
「だめじゃない……んだろ?」
 あぅ、と小さい呻きが聞こえた後、足の動きが止まる。
 さらに赤らんだように見える顔を必死に隠す仕草が、なんとなく可愛かった。
 立ち上る甘い匂いに頭の芯をくらくらとさせながら、時間をかけてゆっくりと、乙女の部分へと顔を寄せていく。
 息を呑む小さな悲鳴を聞きながら、手を軽く添えると――
「……御坂、濡れてる」
 びくん、と大きく美琴の身体が跳ねる。
 そこはもうしとどに蜜を湛えていて、押さえを無くした途端、つつ、とそこから一筋、流れ落ちていった。
「――っ、そ、ういうこと……言うな、あ、やっ、舌、いれちゃ――あんっ」
 ぴちゃぴちゃと、わざと水音を立ててかき回す。
 恥ずかしいのか、手のひらで必死に顔を隠す仕草が可愛くて、口の周りがべとべとになるのも構わず嘗め回す。
 指の間から漏れる声は甘く濡れて、少しの拒絶と困惑――それに快楽を混ぜ合わせた、切なげな音だった。
 こんな声出すんだな、とどこか霧がかかった様な頭で思う。
 可愛い、と心底思いつつも、どこか面白い気持ちも出てきて、夢中で舌を動かした。
 淡い桃色の水饅頭のような、舌で触れる度に形を変えるそこはあまりにも魅惑的で。
 木天蓼を与えられた猫の様にその薫りに酔い、惚けた様にただ嘗める事だけを繰り返した。
 ――と、ぎゅっと押される感じがした。後頭部を手で押さえつけられた、と理解する程度に一瞬の時間を要する。
 我に返り、視線をわずかにあげると、そこには右手で必死に口元を押さえ、切なげにこちらを見つめる美琴の顔。

 ……ああ、そうだ。俺は今、ただ女の子を抱いてるんじゃない。
 他の誰でもない、世界に一人だけの……御坂を抱こうとしてるんだ。
 ぎゅ、と胸が締め付けられる思いがした。
 だのに自分はただ、貪る事に夢中になって。
 ふ、と息を吐くと、がくんと肩が落ちる。
 妙な力が入りすぎていたのに今更気づき、苦笑が漏れた。
 はぁ、はぁと息を漏らす美琴は何も言わない。
 けれど期待を含んだその濡れた瞳は全てを物語ってる様で。
 伸ばされた手を取り、謝罪の意味も込めて微笑む。
 息を吸い、右胸の痛みを根性で押さえつけ、上体を起こして膝で立つ。
 お互いに何も言わない。
 頭は芯まで冷えた。
 馬鹿みたいに速かった動悸も少し収まった。
 熱と期待の籠った視線を送られる中、場違いなほど落ち着いた動きで病人服の腰紐を緩めていく。
 しゅる、と衣擦れの音を立てて、前をはだける。
 ゆっくりとトランクスに指をかけて、そのまま引きおとした。
 美琴の身体がびくん、と震えた気がする。
 ――そりゃこんな状況だから、仕方ないだろう。
 自分だってやりたいさかりの高校生なんだ。
 脈打つほどに固くなった自分のは立派に天を仰いで、いきり立っている。
 美琴は息を呑んでじっとこちらを見つめている。
 なぜだろう。驚かせてすまない、という気持ちはあっても、恥ずかしい、とは思わない。
 潰れてしまいそうな美琴の姿を見てると、なんだか胸の内が熱くなってくる。
 締め付けられる様な、もどかしい感覚。
 固まっている美琴の両膝に手をかけると、さして抵抗もなく、すっと割り開かれる。
 その先へ腰を進めて、ぬち、と一度こすった。
 吐息と共に、美琴の瞳が濡れた様に輝いた。
「あ、あ……い――入れちゃうの? しちゃうの?」
 自分でも、本当にいいのか、と思えてくる。
 だけど美琴の声には嫌悪は含まれていない。
 むしろ、甘えた声はそれを期待している様に聞こえて。
「あ――や、や、待っ――」
 声もかけず、伸びてくる手も無視して。
 そのまま、ず――と推し進めていった。
「っ――――――――!」
 あごを上げて、襲い来る痛みに耐えている。
 ぎりぎりと歯をかみしめる音がここまで聞こえてくる様なその様子に、自分が何をしたかという事を思い知らされる。
 すまないと思う。悪いと思っている。
 でも――でも、謝らない。
 中程まで差し込んだ姿勢で、そのまま落ち着くのを待った。
 恐ろしく長い時間、そうしていた様に思える。
 息をする事すら忘れていた美琴の肩から徐々に力が抜けていく。
 短くふぅ、ふぅと息を吐くと、それはもう――この世のものとも思えない形相で睨まれた。
 視線で人が殺せるなら即死していただろう。
 痛みで喋る事などできないのだろう事がまだ幸いか。
 喋れたらどんな罵詈雑言が飛んできたものか。
 人間ってのはうまくできてるものだと、神にも感謝する気持ちで、涙を浮かべた美琴に身体を寄せる。
 軽くすっぽりと腕の中に収まってしまう彼女はとても小さくて。
 学園都市三位。レベル5。超お嬢様学校に通う上流階級。エリートの中のエリート。超電磁砲。
 肩書きは所詮、肩書きでしかない。
 だって腕の中の彼女はこんなにも――こんなにも弱々しく、儚げで、すぐにでも消えてしまいそうじゃないか。
 肩を抱いて素肌に触れていくと、どこもすごい熱を持っていて、火傷しそうに思えた。
 はぁ、と耳元に大きな吐息が聞こえると、美琴の腕がゆっくりと、自分の背中に回されていく。
 力ないその腕に思わず微笑みが漏れる。
「――落ち着いてきたか?」
 そういって、何度か頭を撫でてやる。
 甘えてくる猫みたいだ、と思った。
「ん……ふ、っ……あ、アンタはまた、子供扱い、し、てぇっ……!」
 まだ身体はかたかたと震えている。
 精一杯に無理をして、いつもどおりの美琴を演じて。
 なら自分も、いつもどおりにしているほうがいいのだろう。
「そーだよな。子供じゃこんな事できないもんな」
 耳元で囁きながら、軽く耳たぶをはむ。
 ひくん、と震えるのが手に取る様によく分かった。
「大人なら、全部入れても大丈夫だよな」
 背中に痛みが走る。
 爪を立てられたのだろう。
「え、え……ぜ、全部って……まだはいってくる……の?」
「今、半分ぐらいかな」
 美琴の顔から、さぁっと血の気が引いた。
 今更何を言われてもやめるつもりも毛頭無い。
 どうせ戻る事などできないなら、進むしかないのだから。
 この後どうなるかを考えるとそこは激しく胃が痛むが。
「む、無理無理! 死ぬ死ぬ、死んじゃうから!」
 重ねて言うが、本当に悪いとは思っているのだ。
 震えて縮こまっている美琴はあまりに弱々しくて、ひどく保護欲をかき立てられる。
 恨みなどないし、むしろ大切な友人だと思っている。
 ――だから。
「――――っ、ひ、は――!?」
 ぐ、と体重をかけて、火傷しそうに熱くたぎっている肉洞をそのまま、一気に最奥まで掘り進んだ。
 途端、美琴は手足をぴんと伸ばし、しばしの間硬直する。
 万力の様にぎりぎりと、いっぱいに貫いた怒張が痛いほどに締め付けられる。
 本やビデオで得た知識の様に気持ちのいいものではなく、ただただ痛いだけ。
 むしろ食いちぎられるのではないかという恐怖すら先立ち、一筋冷たい汗が流れる。
「か――ひゅ、ふ、くっ――」
 それはもう声ではなく、ただ生きる為にする呼吸。それにつられて出る音。
 背中に食い込んだ爪は更に力を増し、肉をえぐり、骨を折るほどに感じられる。
 これを何億倍にしたら、彼女の痛みに届くのだろう。
 歯を食いしばる美琴の首筋へキスを落とし、舌を滑らせて嘗めていく。
 それがせめてもの贖罪であるかの様に、丁寧に丁寧に。
 しばしの後、くた、と美琴の手足から力が抜けた。
 落ち着いたのかな、と気になって、美琴の顔をのぞき込むと――
「っみ、みさ、か!?」
 美琴は泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙を流し、顔をくしゃくしゃにして。
 それ以上、言葉も出ない。
 慌てて離れようと逃げる体を、美琴の腕がそれを強引に引き戻した。
「――や、やだぁ、離れちゃ、嫌なの!」
 ぎゅう、とささやかながらも力の込められた腕。
 お気に入りのおもちゃを取られそうな子供の様で、やけに小さく見えた。
「お願い――お願いだから、もう……どこにもいかないで……」
 小さな呟き。
 消え入りそうな声。
 だけどそれ故に、心からの願い。
 胸を締め付けられる思いで彼女の顔を見る。
 はらはらと零れ落ちる雫。
 泣きはらしたまぶたは幾分か腫れて、赤くなっている。
 こんなになるまで、彼女は自分の隣にいたのだ。
 ――自分が、手の届かないどこかへ行ってしまうのではないかとずっと怯えながら。
 すまない、と思いつつも、かける言葉は謝罪ではない。
 そんなものは望んでいない事ぐらい、自分にも分かる。
 だから、努めて優しく、精一杯に、落ち着いて声を絞り出した。
「……ああ、いかない。ずっと――ずっと、そばにいるから。御坂のそばに、いるから」
 その言葉を聞いて、美琴がうっすらと微笑んだ気がした。
 痛みでそんな事など到底無理なはずだとは分かっているのだが。
 ……なぜか、美琴は本当に、心から嬉しそうに微笑んだように見えたのだ。
「――ひ、ふ、あ!? ひ、んっ!」
 右胸が痛かった。
 それをかばうように、少し体重を左手にかけた。
 その際にほんの少しだけ、身体が動いてしまった。
 ――たったそれだけの、動作とも言えないほどのわずかな身じろぎ。
 なのに、美琴の反応はあまりに大きく、どっと冷や汗が出てくるほどの声量だった。
 そんなつもりじゃなかった、などと言い訳にしかならない。
 ぎゅっとしがみついてくる美琴に悪い、痛かったかなどと声をかける。
 真っ赤な顔で涙ぐむ彼女は、なぜか困った様子で、違うの、とだけ小さく漏らした。
「お――おく、当たると、びりってきて……へん、なんか、へん、なのっ……!」
 混乱する彼女の言葉は要領を得ない。
 ろくな知識もない自分にはそれがどういう事なのか、想像もできない。
 わからないままに、ゆっくりと、試す様に腰を引く。
 ぎりぎりと強烈に締め付ける美琴の秘所はあまりに小さく、快感と言うよりは痛みしかもたらさない。
 それは美琴も同じなのか、歪められた眉根が苦しげに見える。
 せめてできる限りに優しくこころがけ、またゆっくりと推し進める。
「は、っひ、ふあああっ!?」
 今度は声が上がった。
 痛みはあるだろう。
 しかし美琴の口からは悲鳴と言うよりも――甘い吐息が上がる。
 ずりずりと窮屈な膣内をこじ開ける様に、腰をわずかに回しつつ押し込んでいく。
 慎重に慎重に、彼女の変化をじっと見守りながら。
 初回よりもどことなく柔らかい印象を受けつつ、そのまま最後まで腰を進める。
 ぶちゅ、と粘液質の音がつながった部分から軽く漏れた。
 と――
「ん、あひ、あ、あああああああっ!?」
 絶叫――そう呼んで差し支えない声。
 あまりに突如の事に瞬間、身体が硬直する。
 どうしたらいいのか、焦り始めた思考は何も答えを返せず、空回りするばかり。
 心配のあまり半泣きになって見つめる事しかできなくて、時間ばかりが過ぎてゆく。
「と――う、ま、とう、まぁ……」
 すがる様な声。助けを呼ぶ様な声。
 震える音は何を意味するのか。
 自分はそれになんと返せばよいのか。
 またぼろぼろと溢れだした涙を見て、胸が痛む。
「ど……どうし、よう、どうしよう……あ、あた、あたし、あたし――」
 ひどく混乱した様子で、美琴が唇を動かす。
 怒るなら怒ってくれていい。殴るなら殴ってくれても構わない。
 せめてその涙を止めて欲しいと願いつつ、漏れる呟きに耳を傾ける。
 けれどその続きは、自分の想像と遙かに違っていて。
「――い……き、きもち、い……の」
「……え?」
 聞き間違いかと思った。
 けれど顔を真っ赤にして、涙でぐしゃぐしゃにしつつも、美琴は自分を真っ直ぐに見て、言葉を続ける。
「と……とうまが奥まで入ってくると……なんか、ふわって――すごい、痺れたみたいになって……」
 涙は溢れ続ける。
 恥ずかしいのか、両手で顔を隠して、けれど告白は止まらない。
 まるでそうすることが義務であるかの様に。
「ち――ちが、違うの、こんな、こんなえっちなの、あたしじゃないの――ご、ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
 錯乱状態にある彼女は、もう訳が分からなくなって、ただ謝り続けた。
 何に謝っているのか、そんなことを聞いても答えは返ってこないだろう。
 ただ宥める様に、華奢な身体を抱きしめる。
 謝る事なんてないんだと、言い聞かせる様に。
 ひっくひっくと泣き続ける美琴。
 かける言葉も見つからず、せめてできるだけ優しく肩を撫でる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……とうま、とうま、お願いだから――嫌いにならない、でっ――」
 きゅん、と胸の奥で音がした――気がする。
 それがなんの音なのかは分からない
 だけどなんだか無性に嬉しくなって、ぎゅ、と美琴を抱きしめた。
「ばっか……嫌いになんか、ならないって言ったろ? もっと上条サンを信じろよ」
 耳元で、美琴が息を吐く。
 深く深く、はあ、と吐かれる空気は美琴の胸の中を表している様に、とてもとても熱く、熱く。
「みさ――美琴がもっと気持ちよくなってくれると、俺も嬉しい」
 特に意味があったわけではない。
 ただ、美琴が自分を名前で呼んでくれるなら。
 自分もそうしなければならない様な気がした。
 それだけの事――だったのだが。
「――っ、う、わ、み、こと――ちょ、締まっ――!」
 きゅう、と握られた様な錯覚。
 けれどそれはけして痛くはなく、むしろ甘美で、背筋をぞくぞくと何かが這い上がっていく。
 先ほどと何が変わったのか、美琴の中はとても熱く、熱く――絡みついてくる様な、まるで違うものへと変わっていた。
「あ、あ――や、や……どうしよう、どうしよう……と、とうまが、あたしの……あたし、の……」
 細かく震える身体。
 痛みではなく、こみ上げてくる感情に押し流される様な、そんな震え。
 困惑のまま、恥ずかしがる美琴を、心から可愛らしく思う。
 本能に突き動かされる様に、ず、と腰を突き上げる。
「ひ、んああ、あはあっ!」
 そのままず、ずと引き抜き、また押し上げて。
 木の葉の様に軽い美琴の身体を、揺れる水面の様に弄ぶ。
 揺らしては戻し、落としては引き上げて。
 ひとつひとつに反応を返す美琴。
 流れ落ちた涙の粒はもう溢れてくる事はなく、酸素を求めて突き出された舌が妖しく蠢く。
「ん、はっ……! い、いよぉ……すごい、いい――とう、ま、とうま、きもち、いい、よぉ」
 溶けそうなほどに美琴の中は熱く、音を立ててあとからあとから蜜を溢れさせる。
 まとわりつく襞は柔らかくきゅう、きゅうと締め付けて、じんとする痺れを腰に送ってくる。
 その感覚に溺れる様に、ひたすらに突き上げる。
 耳に届く美琴の声に夢中になる。
 小さな身体を震わせて気持ちいいと叫ぶ彼女がとても可愛くて。
 何度も何度も自分の名前を呼ぶ美琴がとてもいじらしくて。
 答える様に美琴、美琴と名前を呼んで。
 ただ頭の中は、美琴の事だけで。
「っく――みこ、と、やばっ――もう、抜か、なきゃ――んっ!?」
 言葉を遮る様に、唇を唇で塞がれる。
 快楽に蕩けた顔で、夢中になって美琴が唇を貪る。
 背中に回された腕は強く、強く抱きしめてきて、何かにすがる様に。
「い、やぁ、抜いちゃ、やなのぉ、い、いっしょ――いっしょ、が、いいっ」
 腰にぐっと捕まれた感触。
 両手を背中に、足を腰に絡めて、全身で美琴はしがみついてくる。
 離れたくないと、二度と離さないと。
「み、みこと、ダメだって――うぁ、もう――っく!」
 腰から背骨へ、背骨から脳天へ、脳天から魂へ。
 焼き尽くされる様な稲妻の中、何度も腰が震える。
 そのたびに美琴が声を上げ、泣き叫ぶ。
 どくん、どくんと、いのちの鼓動にも似た魂の震え。
 注ぐ度に吸われ、二人をつなぐ様に、あとからあとからわき出てくる様な、快感と共にある一つの感情。
 歯を食いしばり、流されないようにと必死でしがみつく。

 消し飛んでしまいそうな光の中、美琴の顔だけが浮かんだ。
 それは幻なのか、とても優しく微笑んで、一つだけ呟いた。
 消えてしまいそうな儚さの中、たった一つだけの想いを呟いた。
「とうま――愛してる」


 それはとても美しい光景で。
 できることならば、消してしまうことなく、ずっと見守っていたかった。

 


 ――俺は、この幻想を、消してしまいたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 闇の中、白光が閃く。
 光が光である為に、黒を切り裂いて、焼き尽くすが如く。

 けれど白はやがて黒に染まり、空しく消え行く。
 そうしてそこに残るのは、また闇。

 ぱちぱちと爆ぜる火花は、名残を惜しむ様に瞬いて、闇へと戻る。
 解け合って、一つになる様に。

 郊外の鉄塔下、二つの影が踊る。
 宵闇を切り裂く稲光の中、運命を語る様に、輪舞曲を奏でる様に。

 影は一人の少年と一人の少女の形をしていた。
 少女の頭上に光るリングは輝きと共に轟音を発し、辺りの静寂をかき消す。
 退治する影は、しかし臆することなく、真っ直ぐに少女を見据え、右手を掲げる。
 一瞬の後、リングから発する光は四方へと散り、でたらめな速度と角度で少年へと襲いかかった。
 まさしく光の速度。
 体感を遙かに超えるスピードで、数十からの光の束は全周囲から少年へとその牙をむく。
「――ふっ!」
 呼吸とともに、影が右手を薙いだ。
 ――一閃。
 ただそれだけの動作に、無数に襲いかかる光条はあらぬ方向へと逸れ、霧散し――わずかな砂埃と共に再び静寂へと戻った。
 触れる事すらなく、ただの一凪ぎで――
 少女はその様子に怒りこそ覚え、驚きはしなかった。
 ただ静かに目を閉じ、呪文の様に何かを呟くと――右手の先から光る短剣が現れる。
 一度瞳を開き、少年を睨み付けると、再び呪文を唱え続ける。
 右手の短剣はやがてその刀身を伸ばし、身の丈をも越す長槍となる。
 感触を確かめる様にぶん、と振ると、心底いらついた様子で少年に向き直る。
 対する少年は右手を握ると、胸の前にかざした。
 ――胸の中の、何かを守る様に。
 ほんの一拍おいて、槍は少女の手から放たれた。
 周囲をあまねく照らし、闇を蹴散らすかの様に。
 音の速さをも超えて、世界に光をもたらす様に。
 知覚する事などかなわぬ刹那。
 けれど少年ははっきりと迫り来る槍を見据え、拳に力を込めた。
「――――!」
 轟音の中、少年は何かを叫ぶ。
 誰にも届かない世界の中、ちっぽけな言葉を叫んだ。
 その右手が何かを掴む様に、ゆっくりと前へと差し出され――
 そしてあまりにも唐突に、静寂が帰る。
 一陣の風の後、そこには変わらぬ姿で立つ少年の姿。
 こきん、と右手を慣らして、息をついた。
「……やー、なんとかなっちゃった、なぁ……」
「なんとかなっちゃったじゃないわよアンタ! 何!? ふざけてんの!? なんでそんなに強くなってんのよ!」
 肩の力を抜いた呟きに、少女は早口でまくし立てる。
 ぱちぱちと放電を繰り返し、迷惑に火花をまき散らして。
「なんでったって――ほら、あれじゃね? 死にかけて復活したんで、超絶パワーアップしたとか言う――」
「どこのマンガかってーのアンタ! そんなの認められるかーっ!」
「いやほら、現実は認めようぜ御坂」
 少女は目に涙すらためてわめき散らす。
 優勢にあるのは間違いなく少年のはずなのに、明らかに少年の立場は低い。
 しまいに少女は少年に詰め寄って、縮こまる背中をぽかぽか叩き始めた。
 よっぽどに悔しいのか、すでに言葉も出ていない。
「なー、いつまで続けんだ? この勝負」
 投げやりに言葉をかける。
「あたしが勝つまでに決まってるでしょーがー!」
 わめき散らす少女は、もはや公害と呼んでも差し支えない。
 やれやれ、と息を吐いて、疲れた様子で立ち上がる。

 闇の中、空を見上げて、星を見る。
 ちかちかと瞬く夜空は冬の訪れを知らせる様に、優しく瞬いて。
 それまでと何も変わらない町に、新しい季節を運んでくる。
 今までと何も変わらない二人に、新しい風を運んでくる。
 変わることなく、まるで運命の様に――

「じゃ、とりあえず今日の分、しようか、美琴?」
 振り向いて、背中に笑顔を投げる。
 みるみるうちに真っ赤になった少女は、途端にぴたりと泣き止んで。
 くすくすと笑う少年に寄り添って、恥ずかしそうに、けれどしっかりと、頷いた。

 


 変わらない二人に、流れ続ける様に、風が吹く。
 闇と光、寄り添って、交わる様に。
 まるでおとぎ話のように、二つの影は踊る。
 それが運命であるかのように。
 薄い月明かりの中、二つの影は踊り続ける。

 

 

 

 
 それが、運命であるかのように。

 

 

 

 

         endless...

 







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