かたかた。たん。かたた。かたかた。たん。
 静かな部屋に、タイプの音が響く。
 とうに日は落ち、時刻は深夜といっても差し支えない。
 いくつものモニターの中で、動いているものがたった一つ。
 こと、と音がして、画面を覗き込んでいた女性が振り向く。
「はい、コーヒー。毎日毎日大変だね……体、壊さない?」
 背中からかけられた声に、苦い笑みを返す。
 かたわらに置かれた安い香りをさせる紙コップを手に、一口喉に流し込む。
 これまた安い味がして、ぼやけ始めていた頭を叩き起こしてくれた。
「あはは……すまんなー、フェイトちゃん、気ぃ遣わしてしもて」
 ううん、と首を振る親友に、ぺこぺこと頭を下げる。
「フェイトちゃんも、今日はどないしてん? いつもならとっくに帰っとる時間やろに」
「うん……ちょっとうちの新人がヘマやっちゃってね。
 フォローに駆けずり回ってたら、こんな時間になっちゃった」
 てへ、と舌を出しつつ。
 面倒見がいいというか、過保護なところは相変わらずだな、と思う。
 まぁ、それでこその彼女ではあるが。

「そっかぁ……大変やなぁ執務官てのも。
 今日は帰ってゆっくり休むとええよ。私はもうちいとかかりそうやから」
 手近な椅子を引っ張り出し、ゆっくりと腰掛けてにこ、と笑うフェイト。
「んーん……私は明日午後から現場直行だから、たまにははやてと一緒に帰るよ」
 かたん。
 ひとつ音を残して、はやての手が止まる。
 画面を覗き込む表情は見えないけれど。
「……いや、かまへんて。多分帰りは終電になるやろうし、そんな迷惑かけられんがな」
 声のトーンが心持ち下がる。
 少し震えたその声に気づくことなく、フェイトは左手の時計を見て答えた。
「終電ならもう一時間もないし……そのくらいならかまわないよ。待ってる」

 かたかたと、キーを打つ音だけが部屋に響く。
 静寂の中、コーヒーの香りを漂わせて。
 冷たい空気が纏わりつく部屋で、二つの鼓動が時間を刻む。
 親友の暖かい視線を感じながら、人形のように何かに手を動かされてただ仕事が片付いていく。

 意識はただ、この後のことに向けられていた。

 


 はやてさんの科学実験講座


   二時限目「嫌悪と友情の化学反応式」

 

 

『まもなく、列車が到着いたします。白線の内側まで、お下がりください』

 頼りない明かりの下、耳鳴りを不快に思いながら、地下鉄のホームで列車を待つ。
 関わりのない風を装う人たち。隣り合った隣人に媚を売ることもなく。
 顔に浮かぶのは疲れと、過ぎた日々への絶望。
 全てを忘れられる瞬間まで、それらを皆一身に背負って。

「なぁ、ええねんで? フェイトちゃん。何も私に付き合って遠回りせんでも……」
 フェイトの降りるはずの駅ははやての通う路線と多少ずれている。
 最寄の駅からでも、さらに歩かねばならないはずだ。
「気にしないで。たまには運動するのもいいかなって、思っただけだから」
 小悪魔な笑みを浮かべながら、はやてを気遣う様子をありありと見せ、勤めて明るく振舞う。
「せやけど、こんな時間やし……バスだってないやろ?」
「大丈夫だよ。それにこうしてると、ちょっと昔を思い出して、懐かしくなるんだ。
 ……学生のころはよく一緒に帰ってたもんね。私と、はやてと、それになのはで……」

 ありありと思い出す、昔の光景。目を輝かせて明日への希望を語ったあの頃。
 いつだって三人で、笑って、泣いて、怒って。
 時間はいつか、そんなことすら思い出に変えてしまったけれど。
「はやて、最近頑張りすぎだから、ちょっと心配してたんだよ。
 なんだか遠くにいっちゃうような、そんな気がして、さ」
 優しい友達。とても大切な、無二の親友。
 あまりにも眩しいその笑顔に、なんだか切なくなって、軽くうつむく。
「私は……どこにもいかへんよ。ずっとずっと、フェイトちゃんやなのはちゃん……みんなといつも一緒や。
 あの頃と同じ、ってわけには……いかへんけどな」
 時はいつだって残酷で。人は皆捨てるものと拾うものを選ばされる。
 私が捨ててきたのはけして忘れていいものばかりではないけれど。
 
 先の見えない暗闇から、紛い物の陽光を携えて、列車が近づいてくる。
 すこしづつ落とされるスピードに、胸のうちの温かささえ奪われる気がして。
 またひとつ、大切なものを捨てようとしている自分を恨む。
 もう戻れないのだと、必死で言い聞かせて。
「ん? はやて、何か言った?」
 振り返る友達に、情けない笑顔を返す。
「ううん……なんでもないんや。さ、はよう乗らんと」
 人ごみの中、猥雑な車内へ押し込まれながら、まるで溶け合ってひとつになるように。
 喧騒の最中、はやてのこぼした言葉は、とうとう拾われることもないまま、置き去りに忘れられていった。

 

 列車の過ぎたホームにはただ一言、フェイトちゃん、ごめんな、と残されて。

 

 

 

 

 

 

 


 そういえば、終電なんて数えるほどしか乗ったことがない。
 こんな時間だというのに、いや、こんな時間だからか。
 押し合いへしあい、狭い車内にこれでもかといわんばかりに詰め込まれた人たち。
 汗の臭い。香水の香り。体臭。さまざまな臭いが混ざり合って、不快感をもたらす。

「すごい人……はやて、よくこんなので毎日帰れるね」
 傍らにいるはずの友達に話しかける。
 しかしその言葉は届くことなく。周りを見渡しても、見知らぬ顔ばかり。
「あ、あれ? はやて、どこいったの?」
 乗り込む際にはぐれてしまったのだろう。おそらく同じ車両内ではあるのだろうが、
 ここまで身動きが取れないと、見つけるのも一苦労しそうで、仕方ないかな、と諦める。
 折角一緒に帰れると思ってたのに。
 なんとか空いてるつり革を見つけ、えいっと手を伸ばして掴み取る。
 体勢的にすごい無理があるような気がするが、ただ立ってるよりはまだ安全だろう。
 
 がたん、と揺れた車両の中、人の波が一斉に動く。
「わ、わわわ……いたたたた」
 つり革から手が外れる。折角つかんだのに、と不満を漏らしても、すでに届く位置にはない。
 ため息とともに手を下ろそうとしたが、あまりにも埋め尽くされた人ごみで、下ろす隙間さえないことに気づく。
「えーと……どうしろっていうんだろ、これ……」
 ぷらんぷらんと、上げた左手がむなしく揺れる。何かにすがりつくように、ぱくぱくと動かして。
 目の前には見知らぬ男性の背中。さっき揺れた拍子にとん、と触れた背中。
 なんとなく恥ずかしくなって、頬が熱くなってくる。
 もう一回、電車が揺れないかな、などと考えながら。

 ふと、びくんと体が強張る。上げた左手の下、わき腹をくすぐられるように。
 虫が蠢くような、ぞわぞわとした感触が広がる。
 手を下ろそうにも、みっちりと押してくる人並みに阻まれ、体の向きさえ変えられず、
 あせるうちにもざわざわと、むき出しの神経を嘗めるように、虫は動き続ける。
「や……やだ……痴漢……?」
 痺れと突然の恐怖に強張った喉は叫ぶことすらしてくれなくて。
 どうすれば、どうすればと自問を繰り返しても、一向に答えが帰ってくることはなく。
 そのうちに蠢く虫は、はっきりとした意思を持って徐々に前へと移動して。
 ベストの脇から入り込んだ虫は、シャツの上でなまめかしく蠢き、
 たっぷりとふくらんだ胸を持ち上げるように、やわやわと揉み解してきた。
「や……やめ……やめて……いやだよぉ……」
 悲痛な声を引き出した虫は、気をよくしたのか、さらに大胆な動きに変わり、
 上から下へと、体の沈む感触を楽しむように、力を入れ、抜き、
 そのたびに跳ねるフェイトの反応を楽しみながら、膨らみを弄んだ。
 不意に頂きをきゅ、とつままれて、星が流れる。桃色の痺れが脳まで走り、吐息が漏れた。

 いつのまにか虫は2匹に増えていた。
 左から胸を責める虫はそのままに、 腰から徐々に下へ、お尻をざわざわと撫で回される。
 不快感のはずのそれは、しかし甘い疼きを与えてきて。
 いつしかフェイトの腰が、ゆらりゆらり、と揺れ始める。
「……腰、動いてるよ。気づいてる?」
 不意に頭の中に響いた声に目を見開く。ぼっ、と火のつく頬を自覚して。
「な……そんなこと、ありませっ……早く、手をどけて……っ!」
 抗議する間にも、なおもフェイトを責め立てて。
 ひっきりなしに襲い来る刺激に混乱する体は、小さな炎をともし始める。
 
 がたん、と列車が揺れた拍子に、腰に添えられた手がする、と両足の間に滑り込んで。
「ひ……ふあ、あっ……!?」
 ぞくん、と衝撃が走る。今まで知らなかった、黒い衝動。ただそこにあるだけの指が、ひどくもどかしくて。
「え……なに、ひょっとしてこっち専門とか? えっちなんだね、キミ……」
「や、や、違う、ちがうのっ……そんなとこ、触らないでっ……」
 前に回るはずもない。そのまま後ろの蕾に添えられた指は、ぞわぞわと侵食を再開した。
 動きの一つ一つがクリアに伝わってくる。
 下着の上から布の質感を通して、こねまわし、押し広げ、入り込もうと突き上げてきて。
 その全てに翻弄されながら、流されるように、理性が溶け落ちていく。
 くにくにと入り込もうとする感触を覚えるたび、ひくん、ひくんと体が跳ねる。
 まるで操られるマリオネットのように、フェイトはただの指一本に全てを支配されていた。
 異常な事態にとうに頭は思考することを放棄し、与えられる背徳的な蟲惑感に打ち震える。
 
 唐突に。霧がかかった頭の中へ、よく知った声が響く。
 ……いや違う。これは、本当にあの声だろうか?
 あの優しい、いつだって強くて、私を励ましてくれた、お陽さまのようだった、暖かい声。
 いつのまにか掴んでいたはずのつり革はとうに離れ、車両の端、角のほうへと移動していた。
 

 

 

「ん、あはっ……すご……奥、奥ぅ……もっと、突いてぇ……」
 これは、何かの悪いジョークだろうか。人垣の向こう、そう遠くもない場所で、探してた人影を見つける。
 列車のドアにもたれかけ、腰を突き出して、聞いたこともない甘い声を出している、あの姿。
 嘘、だよね? なにかの間違いだよね、はやて……
 だって、はやてはそんな……とろけた声で、そんないやらしいことを言ったりしない。頬を紅色に染めて、誘ったりなんかしない。
 これは、夢。そうだ、全部、夢なんだ。

「あひ……んはっ……!」
 ずぶり、とショーツの布ごと押し上げられて、背筋を愉悦が襲う。
 おとがいをのけぞらせて、肺から上る空気とともに、喘ぎとなって、こもれ出た。
「ほら、フェイトちゃん、見える?気持ちよさそうでしょ、はやてちゃん……」
 ぐりぐりと弄られながら、背中から声が聞こえる。
「な、なんでっ……私たちのなま、えっ……くぅんっ!」
 錯乱した頭で必死に考える。どこか組織の陰謀? ストーカーか、それとも怨恨?
 こういう仕事をやっていれば、そんなこともあるとは覚悟していたけれど。
「だって、はやてちゃんに頼まれたからさ。友達が来ているから、仲間に入れてやってくれ、ってね」
 信じない。そんなこと、はやてが言うはずがない。
 だけどこの場で信じるべきはやては、目の前で言いように嬲られていて。
 ずぷずぷと、ここまで音が聞こえてくる。はやての腰を掴み、子供の玩具のように、乱暴に扱って。
 叩きつける音がするたび、はやての嬌声が響く。艶のある、媚を含んだ声で、もっと、もっとと叫んで。
 本当なの、はやて? だって、こんなの見せられたら……私、何を信じていいのか……わかんないよ……

 油断、してた。困惑した頭は、体の力を全て奪い取ってしまって。ともすれば倒れてしまいそうになっていたところを、
 いつのまにかショーツの脇から入り込んで来た指が、直に私に触れていて。
 めり、という音とともに、私の奥まで、太い杭を打ちつけてきた。
「あ、あ……んあああああああぁぁっ!」
 おもわず大きな声が出て、かぁっと赤くなる。
 急いで両手で口をふさいでも、すでに出してしまった声は戻るはずもなく。
 おろおろと周りを見渡して、どうしようと焦る私に、言い聞かせるように、声がかけられる。
「あらら……気持ちよかった? 大丈夫だよ、ちょっとぐらい声出しても。この周りにいるのはみんな、仲間だからさ」
 言われて、ようやく周りを見る。
 そういえば、どうして目の前でこれだけのことが起こっているのに、誰も取り乱さないの? どうして誰も助けてくれないの?
 はやてを囲む人垣はみんなはやてを見ているのに、まるで見守るように、何もしてくれない。


「は……はやて……」
 おもわず問いかけて。
 その声に振り向いたはやての顔を見て、私は心底後悔した。
 なぜなら、その表情に映っていたものは、孤独と、被虐と、絶望と……悦楽だったから。
「ふぇ……ふぇいとちゃ……い、いやや……見んといて……こんな、こんな格好……」
 かぶりを振って、流れ出す涙をぬぐいもせず、はやては救いを求める。
 辛そうにこぶしを握り締め、歯を食いしばって、ただされるがままに。
「は、はやて……待ってて、今、助けてあげるから、泣かないで……っ!」
 けれど私の言葉は拒絶されて。
 上気した頬で、首をゆっくりと振って、優しく諭すように話す。
「違うんや……これは全部、私が望んだこと……みんなみんな、私が集めた、友達で……私、玩具にしてもらっとるんや」
 何を言ってるの? はやては望んで、自らこんなひどい目にあっているというのか。
 そんなはずはない。まさか、脅されてそんなことを?

 そんな思いすら打ち砕くように、はやての腰は左右へと振られ、誘うように踊る。
 窓に押し付けられるたびにとろけた表情を浮かべ、全身で愉悦を表現する。
 やめて。はやての声で、そんないやらしく鳴かないで。気持ちいいなんて、言わないで。
 意識が黒く沈んでいくのを感じながら、私は目を離す事ができなくて。
 いつのまにかするすると下ろされたショーツを足首に絡め、直に嬲られる悪寒を無意識に味わう。
「うあ……ふぁぁぁぁ……」
 ぞくぞくとおなかの奥が震える。足りない。何が足りないのかもわからないまま、物欲しそうに体をゆする。
 いつしか私を弄ぶ手は片手で数えられない数になっていて。
 その全てが、火のついた体を燃え盛らせようと、執拗に燃料を注いでくる。
 わき腹をなぞる手。うなじをくすぐる指。やわらかく胸をもみしだく手のひら。太腿をさする腕。
 されるがままに陵辱を受け入れる私。
 ふわふわと浮いてるような感覚を味わい、唾を飲み込むことも忘れ、つう、と一筋、口の端から垂れる。
「は、あぁぁんっ……」
 ひときわ強い刺激が私を襲う。
 おなかのほうから回された手が、下腹部を伝って、両足の間まで侵入してくる。
 ぬるりとした感触を覚え、つま先から脳天まで、白い稲妻が走る。少し満たされた気がして、口元がほころぶ。
 けれどおなかの疼きはますます大きくなってきていて。

「すごいことになってるね……フェイトちゃん、そろそろ欲しい?」
 ほ、しい……? 何を……ああ、でも、なんだかよくわからない。欲しい。欲しい。欲しい。
 すぐ目の前で乱れるはやての姿。すごく気持ちよさそうな、はやての姿。
 じっと見ていると羨ましくなってきて、おもわず呟く。
「ほ……欲しい……私も……はやてみたい、に……」
 自分が何を求めているのか。何をして欲しいのか。ぼうっとした頭は答えを考えることを放棄して、ただ、たりないと訴える。
 この切なさを埋めて欲しい。しくしくと疼くおなかを慰めて欲しい。
 どうすればいいのかもわからずに、ただ欲しい、欲しいと繰り返す。
 私の言葉を聴いて満足したように、男の人が一人、私を抱きすくめるように覆いかぶさってくる。
 左足の膝の裏から持ち上げられて、高く掲げるように。
 また、ぬるり、ぬるりと何回かこすられ、私は甘い声を上げる。もっと、もっとと艶を含んで。
 耳たぶを嘗められて、ぞわぞわと喜びが浮かぶ。ひとまわりなぞられて、小さく囁く声が聞こえた。
「じゃ、行くよ……」

 

 刹那。体の真ん中から、切り裂かれる痛みが襲ってきた。
 びくん、と一度体を震わせて、陸に打ち上げられた魚のように、口をぱくぱくとさせる。
「……た……ぃ……い、たぁ……ぃ……」
 心の奥底から滲み出すような声。ちかちかと目の前が真っ赤に明滅する。何? この痛みは、いったい何?
 殴られる痛み。切り裂かれる痛み。魔力で焼かれる熱さ。
 今までうけたどんな苦痛よりもひと回りもふた回りも大きい、人生で一番というほどの激痛が私の体を襲っている。
「え……フェイトちゃん、ひょっとして……はじめて、だったの?」
 はじめて。その言葉にようやく思い出す。自分が何をされたのか。
 意味を理解するまでにしばらくの時間がかかり、かちりと歯車がかみ合うとともに、どす黒い絶望感が胸の奥から私を喰らい尽くしていく。
「い……やぁ……やだ……こんな、の……やだ、よぉ……」
 特別に大事にしてきたわけではない。誰かいい人でも見つければ、そのうちに考えてもいいかな、とぐらいに思っていた。
 でも、こんなのは。こんなのはあんまりだ。私が考えていたのは、もっと、もっと……

 ぼろぼろと流れ出す涙に、今まで守ってきたいろいろなものまでが崩れていく気がする。
 情けなく眉をゆがめ、子供のようにいやいやと頭を振り、目の前の広い胸をぽかぽかと叩く。
 ふるふると痛みに震える私を抱きすくめ、私の「はじめてのひと」が優しい声で話しかけてくる。
「そっか……ごめんな……痛かったでしょ、すぐ、よくしてあげるから……おい、ちょっと手伝ってくれよ」
 回りに投げかけた言葉に、数人が答えて、こちらに近寄ってくる。
 一様に笑みを浮かべて、取り囲むように。
「なんだよ、そのまま続けねーの? あと詰まってるんだぜ」
「馬鹿野郎、こんな可愛い子泣かしてたまるかよ……寝覚めが悪くて仕方ねーや」
「そりゃそうだ。泣き声聞きたいわけじゃないしな」
 くしゃ、と頭の上に手のひらが置かれる。さわさわと、いたわるように、前後にゆっくりと動いて。
 ……撫でられてる、の?

 痛みに震える体を、ふわ、と抱きしめられて。じっと動かない痛みの原因を忘れさせるように、あちこちをさすられる。
 胸からおなかへ。うなじから背中。肩からひじ。脇から腰まで。
 上から下へ、満遍なく撫で下ろす動きに、安心感が沸いてくる。
 息をひとつつくたびに、痛みがすこしづつ、ぺりぺりと薄皮をはがされるように消えていって。
 頬に手を添えられて、思わず目を閉じる。ゆすられる動きに合わせて、頬ずりをするように。
 す、と流れた涙に、誰かの唇が重ねられる。
「や……やめてぇ……そんなに、優しく……しない、でぇ……」
 たくさんの手に、愛されるように。壊れ物を扱うような繊細な動きに、段々と私の体はほぐされていって。
 体から力が抜けていく代わりに、何か暖かいものが浮かんでくるのを、じっと感じていた。

「どうかな……動くよ、フェイトちゃん……ゆっくり、ゆっくりするからね……」
 くん、とかかとが浮いた。瞬間、あの痛みが襲ってきたけれど、それはとうに別のものに変わっていて。
「あ、あ! ふぁん、だめ、や……な、に……こ、れぇ……?」
 私の口から、鼻にかかった甘い声が漏れる。それが自分の声だととても信じられなくて。
 痛い、はずなのに。
 ずるずると私の中をはいずる異物は、傷みではなく、甘美な刺激を与えてくる。
 つきん、つきんと飛び散る火花を覆い隠すように、薄い桜色のヴェールが私を包み込む。
 はふはふと浅い呼吸を繰り返す口元に、すっと手が伸びてきて。
 軽く持ち上げられた瞬間、閉じることを忘れた口に、男の人の舌が差し込まれてくる。
 突然のことに困惑する私を無視し、上あごを撫で、歯茎をさらい、舌先をつついてくる。
 気づけば目を閉じ、両手を首に回し抱きついて、貪られる喜びに全てをゆだねていた。

 これも、はじめて。
 愛などというものは全て幻想なのだと突きつけられるような、これが私のファースト・キス。
 
 ぷは、と口を離して。
 透明な橋をつなぐ私たちに、列車は細かな振動を与え続ける。
 かたかたと揺れるたびに私の奥深く刺さったものを強く感じて、吐息が漏れた。
 直りかけのかさぶたのように、繋がった部分から痒みが襲ってくる。
 抑えようとしても強まるばかりで、もどかしくてたまらなく、自然に体が動く。
「んっ、んっ……はぁ、はぁ……ん、くぅ……」
 ひとつ角度を変えるたび、また別に新しい疼きが巻き起こる。
 両手で抱きつきながら、試すように、ひとつづつ、ひとつづつ。
「あん、あ、あはっ……い、いい、よぉ……」
 片足を持ち上げられた不自然な姿勢のまま、こね回すように、腰を前後左右に揺らめかせる。
 動くたびに漏れる音が耳に届くたび、私を焼く炎は勢いを増して。
 全て焼き尽くすように、じゅぷじゅぷと水音をさせる。

「フェイトちゃん、もうすっかりいいみたいだね……じゃ、始めようか」
 え、と口を開く時間もなく、ぐい、と引き寄せられて。
 足は持ち上げたまま、もう片方の手を腰の下へ回されて、私は震える顎を肩に乗せて、両手を回す。
 くん、と体が浮いた直後、鋭く私を貫く稲妻が見えた。
 白い稲光は体が揺すられるたび、つま先が跳ねるたびにほとばしり、全てが脳天を直撃する。
「ひ、や、いや、だめっ、こんな、のっ……耐えられ、な……ひあああっ!」
 すでに濡れそぼった私は何の抵抗もなく突きこまれる肉杭を受け止め、歓喜に震える体は遠慮なく与えられる悦楽を貪ろうとする。
 送られる情報を処理しきれずに、脳が悲鳴を上げていた。
「うわ……すごいよ、フェイトちゃん……ぎゅうって締め付けてきて……まとわり付いてくる。吸われてるみたいだ」
 肩へしがみついた両手へ必死に力を込め、全霊で耐える。
 服越しにすら爪が食い込んで、血がにじむのが見えた。
 膝から思わず力が抜けた途端、体が沈み込む。同時、突き上げられて、ものすごい衝撃が襲った。
「あ、あ、あああっ!? や、そこ、そこだめっ! おく、奥に当たって……ひ、ひいっ!」
 こん、こんと私の真ん中をノックされる。
 そのたびに目の前に星が浮かんで、何もかもわからなくなっていく。
 白と赤に染まった視界で、確かなものは何もなくて。
 せめて自分を感じようと、両手でさらにしがみつく。
「う、うあ、さらに締まって……フェイトちゃ……やべ、我慢、できな……!」

 どくん。
 私の中で、何かが音を出した。
 どくん、どくん。
 それは休むことなく、私の中で鳴り響いて。
 一度鳴るごとに、溶け落ちてしまいそうなものすごい熱さが襲ってくる。
 自然に頬がゆるんで、心が『嬉しい』と叫ぶ。
 何が嬉しいのか。それもわからぬまま、どくん、どくんと音は鳴り続けて。
 体中がしあわせに満ちていくのを、確かに感じていた。

 

 

 

 ぽんぽんと肩を叩かれて、目を開く。
 かたかたと震える体を抑えることができず、しがみつく両手に必死に力を込めた。
「フェイトちゃん、大丈夫……? ごめん、我慢できなくて……」
 すりすりと頭を撫でながら、耳元で囁いてくる。
「あ、い、いま、の……すご、かった、ぁ……」
 びりびりとしびれる下半身からはもう感覚なんてない。
 両足がちゃんとついてるのかもわからなくて、つま先を2、3度動かす。
「フェイトちゃん、はじめてなのに、膣内出しでいっちゃったんだ? やらしいコだなぁ」
 聞きなれない単語。何のことだろう。頭の中に刷り込ませるように、言われた言葉を繰り返す。
「な……かだし……? いまの、なかだし……って、いうの……?」
「そ、膣内出し。最後、お腹の中でびゅーって、感じた?」
 私を安心させるように、背中を撫で付けてくれる手。
 体温がなんだか嬉しくて、大きな肩へ頬を擦り付ける。
「よく、わかん、ないけど……じわぁって、あったかくなって、どっか……とんでっちゃいそうだった……」
 うっとりと目を閉じて、さっきの感覚を思い出す。
 何と引き換えにしても惜しくないほどの、とろけそうな感覚。
「もう一回、してあげようか? 膣内出し」
 とくん、と心臓が高鳴る。
 あの最高の瞬間を、もう一度。
 欲しい。あと一度味わえるなら、死んでもかまわない。
 砂漠の砂が水を吸い込むように、あの記憶への渇望は極限まで高まって。
「あ、あ、あ……し、して。なかだし……もっと、してっ……!」
 にこにこと微笑みながら、じゃ、こっちへおいで、と片足をようやく下ろされる。
 はずみでずぽ、と私の中から抜け落ちて、すごく悲しい気持ちになる。何かが足りないような、ものすごい喪失感。
 とろ、と何かが流れ落ちて、太腿を伝っていったけど、その暖かささえ、私は快感に感じていて。

 おぼつかない足取りの私をリードするように手を引いて、人波をかき分けながら、すこしづつ、すこしづつ、ドアの前へ向かう。
「ほら、そっちの窓、手をついて……」
 指し示されたドアのすぐ横。そこに、よく知っている顔。何度も励ましあった、大事な友達の顔。
 いつもと同じように、その大好きな顔は嬉しそうに笑っていて。
 自分もすぐ同じように笑い合えるのだと思うと、嬉しさがこみ上げてきた。
 ふらふらとよろめきながら、ぼける視界でなんとか窓に手をつく。背中をくい、と押されて、少し体が沈む。
 ふと隣の友達と目が合って、微笑みを投げる。
「う、はああんっ!」
 同時、腰をつかまれ、私の中へ待ち焦がれていた感覚が巻き起こる。
 がくがくと笑う膝を必死で抑え、窓へ全力でしがみついて。
「はぁ、あぁん、ふぇい、とちゃん……気持ち、ええ……?」
 はやての声。ああ、これははやての声だ。これこそがはやての声だ。
 いつも私を励ましてくれた、ぽかぽかと暖かい、はやての声。
 紛う事なき友達に、笑顔で答える。
「うんっ、うんっ……気持ちいい……きもち、いい、のおっ……おく、もっとおっ!」

 がたたん、ごととんと走る列車の中。
 私とはやて、二人の笑い声はいつまでも響くようで。
 なんどもなんども私達の中で出される灼熱に、心からの喜びを叫んだ。
 


 まるで、思い出の中のように。

 

 

 


 自分は今、本当に生きているのだろうか。
 それすらわからなくなって、体の中のものをきゅう、と締め付ける。
 こぷ、と繋がった部分から白いものが流れ出して、床を汚す。あとからあとから、とめどもなく。
 あれからもうどれだけ時間がたったのかもわからない。時を忘れさせるほど、めくるめく夜は過ぎていって。
 不意に耳障りな、機械音が響く。

『まもなく終点、終点です。お降りの際は、お忘れ物にご注意くださいますよう、気をつけてお帰りください……』

 それは楽しい時間の終わりを告げる終了のチャイム。
 まだ足りない。もっと欲しいのに、時は残酷に終わりを告げる。
 それが悔しくて、悲しくて、眉根を歪ませる。

「おい、あとまわってねえの、何人ぐらい?」
「さー……20人はいるんじゃね? ちょっと手間取ったからな」
「んじゃ場所変えるか。トイレでいいよな……はやてちゃん、フェイトちゃん、歩ける?」

 囁かれる優しい言葉に、私は顔をほころばせる。
 楽しい時間はまだ残されていて。
 叶うものなら今日の夜が終わって欲しくないと心から思い、極上の笑顔で私は答えた。


「うんっ、いっぱい、いっぱい……なかだし、してっ……!?」

 

 


 わたしたちのよるはまだ、これから。

 

 

 

          Repeat?

 







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