きゅ、きゅと規則的にガラスを拭いていく。
 まずは四隅を丁寧に、それから面へ移って。
 時折、はー、と息を吹きかけて、汚れをチェックしながら、丹念に磨いていく。
 窓の向こうの庭園を眺めながら。
「え……と、あ、アリサちゃん?」
 手は休めず、窓へ向いたまま、半ば涙目で後ろへ声をかける。
「ん? なーに?」
 きこ、きこと椅子をゆらしながら、アリサちゃん。
「あの、じっと見られてると、お仕事やりにくいんだけど……」
「気にするんじゃないの。ほらそこ、磨き残してるよ。それとなのは、『アリサちゃん』じゃないでしょ」
 

「あー、うー。はい、すいませんです、『ご主人様』ぁ……」

 


 なのはさん全開劇場「スウィート・アンド・スウィート」

                 かいたひと:ことり
 


「しっかしアンタも物好きな。今時メイド募集の張り紙に反応するー? しかもよりによって知り合いの家の」
 じーわじーわと外でセミがなく。
 夏休みの間の短期で、という条件でなのはがうちにメイドとしてバイトを始めたのは5日前だ。
 働きぶりはまずまず。小さいころから家の手伝いをしていたというから、学校にいるお嬢様たちよりははるかにマシだろう。
 被害総額はまだ5桁で済んでいる。
「うう、いわないで。まさかアリサちゃんのとこだとは思わなかったんだよぅ」
 まぁ確かに募集は仲介をはさんだから、バニングスの名前は出ていなかった。
 それにしても普通面接時に説明ぐらいは受けると思うのだけれど。
「お小遣い稼ぎなら家の仕事手伝ったらいいのに。翠屋の時給ってそんなに安いの?」
「……家のお手伝いなんで、お給金出てません……」
 たっぷり1分間、重い空気があたりを支配した。
「あー……その、なんだ、ごめん」
「いいの……」
 それぞれにそれぞれの事情ってあるんだなぁと、どんよりとした縦線を背負ってるなのはの背中を見ながら思う。
「ま、でもなんだ、楽しくやれてるんなら、いいんじゃない? 結構メイド服も似合ってるよ、なのは」
「えへへ、ホント? 実は一度着てみたかったんだ、こういうの」
 肩のフリルをなびかせて、エプロンドレスの裾を持ち、くるりと一回転する。
 実はちょっと注文をつけて、うちの通常制服よりもフリルとリボンを多めにあしらってもらってある。
 なんでこの子はこうまでリボンが似合うのだろう。
 ……別に羨ましいとか思ってるわけじゃないんだけど。

 きゅ、きゅと窓を磨く音はまだ続く。
 この廊下だけでも枚数は相当になるから、おそらくなのはの今日の仕事はこれだけで終わってしまうだろう。
 単調な作業を飽きもせずに眺めながら、何とはなしに話しかける。
「ねーなのは、なんで急にバイトなんか始めたの? なんか欲しいものがあるとか?」
 窓を拭く手は緩めず、汚れをにらみつけながら、なのはが返す。
「うん、フェイトちゃんが、もうすぐ誕生日だって言うから、何かプレゼントしてあげたいなって……」
 ぎし、と椅子がきしむ。

 ――また、フェイトか。

「似合いそうな靴をこの間見つけたんだけど、ちょっとお高くって……月のお小遣いだけじゃ、足りそうになかったんだ」
 ふう、とため息を漏らす。人に気づかれないように、最大限に注意して。
「……じゃ、どうせバイトしてるって言うのも、フェイトには内緒なんでしょ? いーわよ、口裏合わせてあげるから」
「わ、ホント!? ありがとう、すっごく助かるよ、アリサちゃん!」
 それこそ咲き零れんばかりの笑顔で、なのはが振り向く。
 この笑顔を独占できる奴を、ちょっと恨めしく思って。
 なにげなく。そう、ホントに何気なく、言ってみた。
「だから、アンタさ……暇なときでいいから、時々うちにバイトしに来ない……?」
 ――言ってから後悔した。
 あれほど華やかだった笑顔が、一瞬で曇るのを見てしまったから。
「あー……うん、考えてみるよ」
 明らかな社交辞令。
 わかってる。そんなことは無理だ。
 家の手伝いだってあるだろうし、なによりなのははもう働いている。
 マホウを使って別の世界に行き、そこで悪い奴らと戦う正義のヒロインなのだ。
 あと数年も経てば、私との接点もなくなって、思い出になってしまうのだろう。
 ……どこまでも一般人な私とは、住む世界が違うのだ。
「ん、考えてみてよ。友達のよしみで、割った皿は給料から引かないどいてあげるからさ」
「はわわわわわ、そ、それをいわないでぇぇぇ」
 途端にしゃがみこんで頭を抱えるなのは。
 わはは、と強引に笑みを作って、左手の時計をちらっと見る。
「っと、そろそろ3時だね。なのは、ちょっと中断してお茶付き合いなさいよ」
「え、でもまだ、あんなに残ってるよ、アリサちゃ……」
 振り向いたなのはに、びっと指を突きつけて。
「なのは、よ・び・か・た。『アリサちゃん』じゃないでしょー?」
「あ、う……え、えと、ごしゅじん……さま」
 釈然としない様子で、けれども仕方なく、おずおずと呼びなおす。
「ん、よろしい。それでなのは、『ご主人様』のいうことは、素直に聞かなきゃいけないよね〜?」
 われながらにたにたと、意地の悪い笑みを浮かべて。
 しまった、と書いてありそうな表情で固まってるなのはを尻目に、よいしょと立ち上がってさっきまで座ってた椅子を隅っこへ追いやる。
「ほらほら、掃除用具もそこに置いておいていいからいくよー?」
 わたわたと慌てるなのはの背中を押して、廊下を歩く。

 あと、数年。
 降って沸いた泥棒猫に、この子は盗られてしまうのだ。
 それは私なんかでは止めようもないし、この子もそれを望んではいない。
 この子の中でいつか私は思い出になって、それもいずれは薄れていくだろう。
 だから、今ぐらいは、いいじゃないか。

「私にだって、振り向いてほしかったんだから」
 ぼそ、と呟く。
「え? アリサちゃん、なんかいった?」
「なんにもいってなーい。それより前見なさいよ」
 べしょ、といい音を立てて、なのはが壁とキスをする。
 鼻を押さえて涙目で追いすがってくるなのはの声を背中で受けながら、ティータイムに想いを馳せる。


 今日のお茶請けはとびきり甘いお菓子にしよう。
 紅茶にもたっぷりと砂糖を入れて。

 


 きっと苦くて、しょっぱいのだろうから。

 

 

 

 

              fin.

 







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