じゃら、じゃら。

 闇の中、金属のこすれあう音が響く。
 薄く月明かりを浴びて鈍色に光る鎖。
 それは光少ない部屋の中なおほの白く、照らされていっそうに白く映える裸身へと繋がっている。
 はぁ、はぁと息荒く、身をよじるたびにじゃらじゃらと耳障りな合奏を鎖が奏でる。
 蒼く見えるほどの面影にうっすらと紅を差して。
 床は飾りっ気も何もない一面のコンクリート。
 身をよじる足下には、すでに水たまりと言っていいほどの液体が滴っていた。
 ぴちゃん、ぴちゃんとひっきりなしに落ちる滴。
 それは滝のように流れ落ちる汗のみにならず、内股を粘るように落ちる、愛液によってもできていた。
 吐く息には熱く官能が聞き取れ、色に濁る瞳は惚けたように瞬きを繰り返す。
「ふ……あ、ああん……」
 吐息とともにはき出される声。それとともに、またじゃらじゃらと、鎖が音を立てる。
 腿に不格好に巻き付けられたビニールテープから灰色のコードが伸びて、先端は両足の付け根へと消える。
 耳を澄ませばぶぅぅぅんと、低くモーター音が聞こえた。
「あ、や、やぁ……イきたい、イきたい、よぅ……」
 弱々しく唸りを上げるローターからは常に微弱な刺激しか与えられず、いつまでも達することのない責め苦に、この哀れな虜囚の精神は焼き切れそうになっていた。
 泣けど叫べども助けが来ることはなく、すでにどのぐらいの間こうしていることだろう。
 焦らしに焦らされた体はとっくに音を上げていて、心が折れるのも時間の問題ではないかと思えた。
 明かり取りから微かに見える月を見上げて、何度目かわからない熱の籠ったため息をつく。
 落胆を振り落とすために床へと視線を落とす。じゃらん、と甲高い音をさせて。
 額に張り付く前髪を邪魔に思っていると、不意に部屋の戸が開いた。
 キイ、という音とともに冷えた空気が流れ込む。
 濡れた体が冷気を直に浴びて、ぶるりと身震いをする。
 冷えた夜の空気よりもいっそうに冷たい相貌。
 闇に輝く金の髪を振りまいて、何時間かぶりに、虜囚の主たるものは姿を見せる。


「……気分はどう? はやて」

 


 フェイトさん細腕繁盛記「あなたとわたし」

          かいたひと:ことり



 

 薄暗闇に月明かりを映して、白く映える裸身が踊る。
 タップを踏むたびに水音をまき散らし、淫らに腰を踊らせて、歓喜を表しながら。
「あ、あはっ! や、や、またイって、あひっ!」
 もはや数えるのも億劫になってきた絶頂。
 レベルを最強にされたローターを奥に押し込まれ、そのまま指で膣内をかきまわされる。
 半日もの間焦らされた身体は限界まで刺激を欲していて、最初に首筋を撫でられただけで軽く達した。
 そのまま脇腹をくすぐられて一回。
 背中を撫で下ろされて一回。
 太股を蠢く指の感触で一回。
 普段ならば到底達するには程遠い刺激を何倍にも感じ、瞬く間に連続して押し上げられる。
 ひくん、ひくんとわななく肢体を熱の籠った視線でねぶられて、それだけでもう一度達した。
「お、おねが……少し、休ませ、あああっ!」
 身体の奥底を支配されて、あられもなく乱れ狂う。
 そんな艶姿を楽しげに目を細め、口元をほころばせながら、フェイトは手を動かし続ける。
「あはは、遠慮しなくていいんだよ、はやて? あんなにイかせてイかせてって言ってたじゃない」
 なおも笑顔のまま、無慈悲に指でかき回す。こり、とした感触を覚えるたびにはやての身体が跳ねるのを見て、何度も何度も繰り返し責め立てる。
 まるで玩具のように――否、今のはやてはまさにフェイトの玩具として弄ばれていた。
 泣こうが喚こうが一向に取り合わず、むしろそれが楽しいとばかりに笑みを浮かべ、一層に激しさを増して。
「ほら、また中がひくひくしてきた。あたしの指、そんなに気持ちいい?」
 反応の一つ一つを殊更に煽り、羞恥に染まるはやての表情を飽きもせずに眺めて。
 鼓膜に響く嬌声をBGMに、リズムを取るかのようにひっきりなしに遠慮なく、はやての膣内をかき回す。
 不意に奥深くまでず、と突き上げられ、はやての肢体が硬直する。
 すでに声を上げることすら困難で、薄いくちびるからいっぱいに舌を突き出しわななかせ、脳髄を突き抜ける刺激に翻弄されるばかりだった。
 ぴん、と伸ばされ、苦しそうに痙攣しているつま先を見てフェイトは満足そうに微笑み、ずぼ、とようやくに指を抜きさる。
 はふ、とはやてが吐息をひとつ吐いた。
 果てのない快楽責めから解放され、荒く何度も息を吐いて靄のかかった意志を奮い立たせる。
 そうしなければそのまま壊れてしまいそうだったから。
 
 ぱちん。

「――ひっ!?」
 不意に背中に電流が走る。
 静まりかけていた身体は刺激に素直に反応し、ずくん、と下腹を疼かせる。
 事態を理解する前に再びぱちん、ぱちん、と音がして。
「ひっ、や、やあぁ!」
 十分すぎるほどに高ぶっていた神経は瞬く間に再度の絶頂へと押し上げられる。
「あはは、おもしろーい。はやてってホント、ヘンタイさんだよね。叩かれて気持ちいいんだ?」
 ころころと笑う声はフェイトのもの。その手にはビニール製のベルトが握られていて。
 それは鎖につながれて逃げることすらできないはやてへと、無邪気に振り下ろされる。
 何度も繰り返されるそのたびに、汗ばんだ身体はひくん、ひくんとわなないて。
「う、うそやっ、うそぉ! こ、こんなん、叩かれて、気持ちいいなんて……んあっ!?」
 声は何度も否定を叫ぶけど、ベルトを振り下ろされるそのたびにはやての体は舞い踊り、焼き切れそうな快感に身悶えする。
 送られる刺激に過敏に反応し、下腹が収縮を繰り返し、喜んで飛沫をまき散らす。
 否定しても否定しても、喜悦を貪る肢体は絶頂するに十分な快感を送り続けてくる。
 ぷしゅ、ぷしゅと何度もはしたなく愛液をまき散らし、はやては達し続ける。
 もはや流す涙が哀切からか、絶望からか、被虐からか、それとも快感なのか。
 それすらわからなくなって、喉の奥からはただ甘く蕩けた悲鳴が漏れていた。
「あ、ひ……ひ、きもち……い……っ……!」
 どろん、と濁った瞳の奥には意志を感じない。
 力なくつぶやく声はそれゆえに本心からのもので。
 気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい。
 思考がすべて塗りつぶされていく。視界が赤に染まっていくのを虚ろな意識で自覚しながら。


 そのままはやては、目を閉じた。

 


 ふらふらとおぼつかなく、危なげな足取り。
 肩は落とされ、背中にはどことなく陰。
 陽の光を浴びて金色に輝く髪は、今は闇の中、錆び付いて見える。
「……う……ぐ、ぇほっ……はぁっ、はぁっ」
 苦しげに胃の中のものを吐き出す。
 内蔵をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような不快感。
 ひっきりなしに響く頭痛は、際限なく心と体を痛めつける。
『あはははは、今日も面白かったね−。はやて、あんなに喜んでたよ?』
 無邪気な声。
 込められているのは悪意と言うより、純粋な遊び心。
 幼い子供が羽虫をつぶして遊ぶように、好奇心のままに行動する。
「だ……ま、れ……!」
 喉の奥から吐き出した言葉はとても重く、小さく。
 それでもありったけの敵意を向けて、絞り出す。
「なんで……なんで、こんなことをするの……私は……こんなこと、望んでなんか……」
 言葉と共に、心から一粒、しずくが漏れる。
 あまりに悲しいそれは、むなしく床にぶつかって、儚く散っていった。
『えー? うそうそ。隠したって無駄だよ。だっておねーちゃんは、妹のことなら何だって知ってるんだから』
 声音は優しさに溢れ、思いやりを感じる。
 しかしそれは、人が人を思う優しさではなく、家畜に向けるものだ。
 生殺与奪の権を握りながら向ける愛情。
 それはどれだけ、人の心を傷つけるというのだろう。
「あなたが……私の何を分かっているというの? 本当に、私は――」
『だからうそついたって無駄だよ−。はやてにひどいことしたくなかった? はやてにえっちなことしたくなかった? はやてを独り占めしたくなんてなかった? 全部うそうそ。おねーちゃんにうそついたって、全部分かってるんだから。だから――私は全部かなえてあげる。大好きな妹のために、なんでもしてあげる。人を殺すのだってためらわない。だって全部全部、あなたのためだから』
 悲痛に眉根を歪ませて耳を塞ぐ。
 けれどそんなことでは声を防ぐことなどできず、針で突き刺すような、鋭い声はなおも続く。
 耐えきれず返す声は、抵抗と呼ぶにはあまりにも弱々しく。
「もう――もう……やめて、やめて……あなたは、もう……アリシアは――」
『あはは、あたしはまだ生きてる。こうやってフェイトの中でね。そういえばあの女には笑ったなぁ。あたしはここにいるのに、後生大事に抜け殻をかかえちゃってさぁ」
「か――母さんを、悪く言うな! あの人は、あの人はただ、貴方を思って、ただもう一度会いたくて!」
 目を見開いて怒鳴る。
 睨み付ける相手は目の前にいない。
 それでもその言葉だけは、母親を侮辱する言葉だけは許せない。
 彼女にとって母親は、尊敬し、愛し、恋い焦がれる――紛れもない母親だったのだから。
 痛む頭に鞭を打ち、殺意と呼んで差し支えない思いを向ける。
『大丈夫大丈夫。フェイトにはあたしがいるから。あの女なんかじゃなく、このあたしが。ずっとそばにいてあげる。この世にたった二人だけの姉妹だもん。いつまでも一緒だよ、フェイト……』
 くすくすと、耳障りな笑い声と共に、魂を切り刻まれるような、残酷な痛みがひっきりなしに続く。
 ころころと愛らしい声に、どこまでも心が痛めつけられていく。
 頭痛が止まない。
「もう……許して……あなたなんかいらない。私は――私は、本当にはやてを……」
 しかしそれが真実、自分の心だろうか。
 いつからか語りかけてきた言葉のように、それは境目の分からなくなった空虚な自分自身のようで。
 何が本当で、何が嘘なのか。
 考えても考えても答えは出てこない。
 やっとの思いで捕まえた真実は、すべて姉の言葉に塗りつぶされる。
 頭痛が止まない。
『愛してるよ、あたしの可愛い可愛いフェイト……』
「いや……いやあぁ、いやあ……」


 頭痛が、止まない。

 

 


 私は、夢を見る。

 それはいつも同じ。
 その夢の中で、私の右手はロープを輪にして握っている。
 左手も同じ。ぎりぎりと引き延ばすロープは両手を締め付け、痛いほどに食い込んでくる。
 けれどそれを見つめる私の顔は、恍惚に溢れて。
 見ているだけで達してしまいそうな、すさまじい快感。
 ぞくぞくと背筋を震わせながら、ぎりぎりとロープを引き延ばしていく。
 右手と左手の間にははやてがいる。
 私の心を虜にするような、とても魅力的な表情で。
 だらしなく開いた口から泡を吹き、かっと見開かれた目は黒く濁って、何も映していない。
 私は何も言わない。はやても何も言わない。
 言葉など必要ではないのだ。
 私がはやてを愛しているように、はやても私を愛してくれているのだから。
 完全に脱力したはやてが糞尿を垂れ流す。
 私の足にかかる暖かいしぶきも、すべてが心地よい。
 与えてくれるものを一つ残らず大事にしたい。
 だってそれが、はやての気持ちなのだから。
 両手の力を抜いて、はやての肢体を抱きしめる。
 ぐったりと力のないはやては、私のなすがままで。
 私に何も言ってくれないはやて。
 私に笑いかけてくれないはやて。
 私を見てくれないはやて。
 私だけのはやて。
 腕の中、もうとうに息をしていないはやてを見つめ、優しく微笑んだ。
 ガラス玉のように綺麗なはやての瞳は、私だけを映し出す。
 はやての瞳の中の私は、赤い目をしている。
 兄にまるでルビーのようだと褒められた瞳は、今はもうどす黒く濁っていて。
 まるでかわきかけの、血だまりのように。
 にたあっと笑う私の口が、耳まで大きく裂けた。
 
 いつもそこで、目が覚める。

 

 


 悪夢から目が覚めると、そこはまた悪夢の続き。
 私が眠っている間は、あの子の時間らしい。
 文字どおり私が眠っている間に、服はエナメルの、黒いボンデージに着替えられている。
 すぐ横を見れば、はやてが横たわっていた。
 全身にみみず腫れがある。何度も何度も、鞭で叩かれた痕だ。
 ――同じ脳を使っている以上、記憶も全て共有しているようで、その間のことも全て覚えている。
 『私』がどんなひどいことをしたのかも、全て鮮明に覚えている。
 それが――すごく悲しい。
 せめて何も知らずにいれば……それでも平気な顔はできないだろうが、こんなに苦しまずにすんだのではないか。
 私は今日もはやてをこうして弄び、屈辱と苦痛を味あわせている。
 それが――すごく辛い。
 はやては私の大切な人なのに。
 守ってあげたいと心から思うのに、私がはやてを壊していく。
 はやては今日も鞭打たれ、醜悪な道具を突っ込まれ、耐えきれずに失禁し。
 それをあざわらう私の声が今もなお頭の中に響く。
 はやては許してくれと叫び続け、私はそれを鼻で笑った。
 ――これが。
 これが……私の、望んでいたことだというのか?
 私はただ、はやてにそばにいてもらいたくって。
 ころころと変わるはやての表情を見ていたくて。
 かたわらで眠るはやてを見る。
 はやてのまぶたは、泣きすぎて真っ赤に腫れ上がっていた。
 体力を使い果たしたのか、わずかに胸を呼吸で上下させているだけのはやては、度重なる行為の後とは思えないほど綺麗で……まるで童話に出てくる眠り姫のようだった。
 アリシアが好んで着る、黒いレザーの手袋に包まれた手のひらをぎゅっと握りしめる。
 もう――もう、限界だった。
 日を追うごとに私の神経はすり切れ、心が打ちのめされていく。
 操られたように、ふらりと力なく立ち上がる。
 ここはアリシアが集めた調教……いや、拷問部屋だから。
 壁を見れば、装飾用の刃を鋳つぶした剣が立てかけてあるのが目に入る。
 ……どうして、こんなことになってしまったのだろう。
 母さんが亡くなってしばらくしてから、アリシアは現れた。
 私の心が弱くなった隙につけ込まれたのかもしれない。
 ……でも、最近ふと思う。
 アリシアなんていうのは、私のただの思い込みだったのではないか? ……と。
 あの声は、ただ私の願望が頭の中に響いていただけではないのか?
 はやてにひどいことをしていたのは、アリシアなんていう別人などではなく――純粋に私自身、だったのではないか、と……
 はやてにひどいことをしているのは、紛れもない、私自身なのではないか、と……
 冷えた金属を手にとって、少し身震いする。
 装飾用とはいえ、通常の工程を経てから細工されたものであるため、重さは実剣と変わりない。
 今の疲れ切った体では満足に持つこともできず、抱え込むように両手で持つ。
 頬に冷たさを感じて、自分がうっすらと泣いているのに気づく。
 薄暗い天井を仰いで、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。

 ……ごめん、なさい。

 喉の奥が震えて、もう言葉を紡ごうとしてもかすれた息しか出てこない。
 それでも何度も繰り返す。それこそ一生分を費やすかの如く。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 何に謝っているのかも定かではなく。
 ただ涙を流し、謝り続ける。
 どうしてこうなってしまったのだろう。
 何が悪かったのだろう。
 私が弱かったから?
 私が母を失ったショックから立ち直れなかったから?
 私が管理局なんかに頼ってしまったから?
 私が……はやてを好きになってしまったから?
 わからない。もう何も分からない。
 ただただごめんなさいと謝り続けて、私の手にはあまりにも重いその剣を振り上げる。
 刃は鋳つぶされていても、その切っ先は十分にとがっている。
 重量に任せて振り下ろせば簡単に肉を切り裂くことのできる凶器。
 刃の表面に映った顔が心底に恨めしい。
 怒りでも、憎むでもなく、ただ恨めしい。
 なぜ私は生まれてきてしまったのだろう。
 誰の役に立つでもなく、誰にも愛されない。
 失敗作と母になじられた不良品。
 ――もう、疲れた。
 リニス、ごめんね……わたし、もう疲れちゃったよ。
 最後に恩師の面影を脳裏に浮かべ、静かに目を閉じた。
 切っ先を重力に任せ、そのまま自分の喉へと――

「なにやっとんの、フェイトちゃん!?」

 がらんがらんと派手な音を立て、剣が転がっていく。
 私を楽にしてくれるはずだったものは期待を裏切り、部屋の片隅へと追いやられて。
 横殴りに強く押された私の体は抵抗することなく床へと倒れ込む。
 起き上がる気力などなかった。
 視線もそのままに、どこともあらぬ彼方を見つめて。
 なぜ……死なせてくれないのだろう。
 このまま誰も彼も傷つけて生きていくなど、耐えられない。
「……せて……死なせて、よ、はやて……」
 やっとの思いで紡いだ声は、涙でぐしゃぐしゃにしわがれていた。
 息を吐くと我慢もできず、滝のように涙が零れ落ちていく。
 脱力してへたりこむはやてのそばで、私はただ泣き続けることしかできなくて。
「……なにアホなこと言うとるの。大事な友達を死なせるなんて、私にはできへんよ」
 びくんと肩が動く。
 ――大事な友達。
 はやては……はやてはこんな私を、まだ友達だと言ってくれるのか。
 のろのろと上体を起こし、残された力で腕を立て、はやての顔を見る。
「だ、だって、私――はやてにいっぱい、いっぱいひどいことしてきたのに……まわりのみんなみんな、不幸にするしかできなくて――こんな私に、どうして生きてる資格があるって言うの!? 私なんか、私なんか――生まれてこなければ良かったん――」
 そこで私の声は止まった。
 数秒遅れて、頬がじんじんと痛む。
 殴られた、と理解するまでには、かなりの時間が必要だった。
「……それ以上言うようやったら、こんなもんや済まさへんよ。冗談でも言うたらあかん。フェイトちゃん、あんなにお母さんのこと幸せそうに話してくれたやんか。そんなこと言うたら……お母さん、悲しむよ……?」
 そう言って、はやては私をぎゅっと抱きしめた。
 ……暖かい。
 どうして、なんで、はやては……私はこんな事をしてもらうような、そんなものじゃないはずなのに。
 涙は止まらない。
 喉の奥から熱さがこみ上げてきて、たまらず私ははやてに抱きついた。
「大丈夫、大丈夫……なんも怖いことなんかあらへん。私が――ここにいるから。フェイトちゃんのそばに、いてあげるさかい」
 優しい、声。
 頭を撫でながら語られる、あの頃と変わらない、はやての優しい声。
 それはまるで記憶の中の母と姿が重なって思えて。
 胸の締め付けられる思いではやての顔を見る。
 澄んだ瞳をたたえるはやてはかわらず優しいままで、たくさんの思いが溢れてくる。
 口を少し開くけど、言いたいことは全然出てこなくて。
 悔しくて悔しくて、せめてこの思いの百万分の一だけでも伝えようと、私ははやてに近づいていく。
 そのまま唇と唇が距離をなくして――しまいには触れあう。
 ちゅ、ちゅと何度かついばんで、わずかの時間のあと、ゆっくりと離れる。
 ――はやては微動だにしなかった。
「……ん、で……なんで、抵抗、しないの……」
 はやては何も答えない。
「私が憎いって、私が嫌いだって、いってよはやて!」
 はやては何も答えない。
「はやてがそんなだから、はやてがいつまでも苦しむ!」
 はやては何も答えない。
「もう――もう、嫌なの! はやてが傷つくのは! はやてが苦しむのを見るのは!」
 はやては何も答えず……かわりに震える私の体を抱きしめた。
 ――どうして、はやてを好きになってしまったのだろう。
 どうしてはやてじゃなければいけないのだろう。
 はやてに優しかった頃の母の面影を重ねているのか。
 母を亡くして傷ついていた私に優しくしてくれたからか。
 いつからか、なんてことはわからない。
 けれど気がつけば、視線の端にはやての姿を追っていた。
 これを恋と呼んでいいかはわからない。
 私は女だし、はやても女の子だ。
 けれど、胸の内に渦巻くこの思いは、間違いなくそう呼んで差し支えないもので。
 いけない、と思った時にはもう止めようもないほど、その思いは大きく膨らんでいた。
 ――どうして、はやてなんだろう。
「嫌やと思うたことなんてあらへんよ。だって――フェイトちゃんのしてくれることなんやから。なんも嫌な事なんてあらへん」
 その声に、はっと顔を上げる。
 きっと今の私は、ひどく驚いた表情をしているのだろう。
「大好きなフェイトちゃんのすることやから――なんも嫌なことなんて、あらへんよ」
 胸の奥で、欠けていたパズルのピースがかちりとはまる。
 理由なんて分からない。
 なぜかなんてどうでもいい。
 ただ、ただ私は――
「わ――わたしも、はやてが好き! はやてが大好き!」
 結局、それしかなかった。
 いくつ言葉を連ねようと、どれだけ行為を重ねようと。
 私はただ、この言葉だけのために生きていたのだから。
 そのままどちらともなく近づいて、唇を貪った。
 冷たい床の上、長く長く舌を絡め合って。
 あまりの愛しさに、枯れるほど流れ落ちた涙がまた零れた。
 飢えた獣のように、はやての体に触れていく。
 まだあちこちに傷の残るはやての肢体を癒すように。
 なでさすり、時に軽く爪を立て。
 大切な大切な宝物を愛でるように。
 柔らかなはやての胸に頬を寄せると、いい匂いがした。
 いつかどこかで嗅いだような、とても懐かしく、甘い匂い。
 ――ああそうだ。これはまだ乳飲み子だった頃の私の記憶だ。
 母の胸に抱かれてまどろんだ日々。
 幸せに包まれて生きていた頃の残り香。
 頬をすり寄せて、この匂いを懐かしむ。
 優しさにすがるように。
「どうしたの、フェイトちゃん甘えんぼで……そういうプレイなんかな?」
 おどけて言うはやての声が、どこまでも私を安らげる。
 ああ、これだ。私が望んでいたのは。
 望んでも望んでも、手に入れられなかったぬくもり。
 幼い頃に永遠に失った暖かさ。
 私なんかが、こんなに幸せでいいのだろうか。
 うれしさのあまりに、また涙を流す。
「じゃあ、たまには……私が気持ちようしてあげるわ、フェイトちゃん……」
 そう言うはやての指に、のど元をくすぐられる。
 あごをあげて、おとなしくされるがままに。
 耳元に息を吹きかけられて、ぞわりと背筋が震える。
 私はただはやての背中へ両手を回して、できる限りにしがみつく。
 手の中のぬくもりが逃げないように。
 もう二度と、失わないように。
「ふふ。フェイトちゃん子供みたいやなぁ……どれ、こっちも子供かな」
「ひゃう!?」
 ぬるり、とした感触が下腹部に走る。
 私の着ているボンテージは局部の露出した卑猥なもので、ただ手を伸ばせば、大事な部分に簡単に触れることができた。
 そのままはやてはくるくると、私の中をかき回す。
 翻弄されるままに、腰が前後左右に蠢く。
 その感触から逃げているのか。もっともっとと、せがんでいるのか。
 はしたない声を上げる私にはもう何も分からない。
 はやての肩にあごを乗せて、泣いて許しを請いながら、快感を享受する。
 幸せに押しつぶされるように。
 ぬくもりに塗りつぶされるように。
 頬にキスされて、すこし目を開ける。
 ぼんやりとした視界には、はやてと私しかいない世界。
 ふたりだけの、せかい。
 それでよかった。だってもう、他には何もいらない。
 大好きな人と一緒にいられれば、それだけで、わたしは――
「や、やぁあ、はやて、だめ、はげしっ……!」
「ええよフェイトちゃん。いっつも私ばっかりイカされてるんやもん。たまには……フェイトちゃんの可愛い顔、見せてぇな」
 そう言うと、はやては指の動きを一層に激しくする。
 気持ちいいところを探られて、腰が踊り狂う。
 好きな人に、好きと言ってもらえて――好きな人に、愛されて。
 私はただ、しあわせでしあわせで――

 最後に一声高く鳴いて、そのまま幸せに沈んでいった。

 

 


 二人仲良く手をつないで帰る、帰り道。
 どことなく足がふらついたけど、そんな事は気にならない。
 触れあう体温が嬉しくて、微笑みを押さえられない。
「どないしてんフェイトちゃん。今日はゴキゲンやね」
 私の顔をのぞき込みながら、はやて。
 私はただ、なんでもないよ、とだけ返す。
 ――もう、失うことに怯えなくていいのだろうか。
 このままいつか眠りにつくまで、ずっとずっと、ぬくもりの中にいられるのだろうか。
 そのとき、私は――私たちは、笑っていられるのだろうか。
 すこし不安になって、はやての顔を見る。
「ん?」
 小首をかしげて微笑むはやての顔は綺麗で、すごく可愛くて。
 ……違うんだ。
 未来はこれから作っていくんだ。
 最悪な未来にならないように。
 私はもう、自分の手で生きていける。
 怖くなんてない。
 だって、隣には、愛する人がいてくれるのだから。
 何も、何も、怖くなんかない。
「ところでフェイトちゃん、今度はお外でするんかな? なんも道具持ってきてへんけど、いいのかな」
 石も何もない所で盛大に蹴躓いた。
 何かものすごい意志の齟齬を感じながら振り向いても、そこにはかわらず微笑むはやての姿。
「ムチもよかったけど、やっぱ跡が残るのは問題あるかも知らんねぇ。こないだのベルトの方が後々を考えるとええかもな」
 いや、えっと……ちょっと待って。
 なにか私は、とんでもない勘違いをしていたのだろうか。
 私を置いてけぼりにしたまま、はやては頬を赤らめて話し続ける。
「露出プレイは初めてやけど……フェイトちゃんのすることなら、嫌やなんて言わんから……今日もまた、いっぱいいっぱい、気持ちよくしてぇな」
 なんかもう、目に見えるほどハートマークを飛び散らしながら、はやてが腕を絡めてくる。
 えーと……これはつまり。
 はやては今までのことをいやがるばかりか……喜んで受けていた、ということだろうか。
 アリシアのすることに慣らされていったのか、それとも元々こうだったのか。
 どちらかはわからないが、ともかく結果こうして、はやては私のそばにいてくれている。
 それは確かに、喜ぶべき事で。
「フェイトちゃん、大好きやからな」
 その一言だけで、救われた気になる。
 なにもかも全て、今までの人生にありがとうと言える。
 たどってきた道には間違いもあったかもしれないけども。
 これから歩く道で、正しいことを見つければいい。
 どうせ過去には戻れやしないのだ。
 だったら――だったら、ハッピーエンドを望んであがくしか、ないじゃないか。
 大丈夫。はやてと一緒なら、全てに耐えられる。
 不良品でも、失敗作でも。
 この世に生まれてきたのだから。
 だから私はもう一度、母さんの顔を思い浮かべて、ありがとう、といった。
 私を生んでくれて、ありがとう。お母さん……と。
「うん。私もはやてのことが大好き。ずっと――ずっとずっと、大好き!」
 そう告げて、頬に口づけする。
 手をつないで歩く帰り道。
 夜風はまだ沁みるけど、二人体温を寄せ合えば、そんなものは気にならない。
 ぎゅっと手を握り、アリシアにも礼を言う。
 お姉ちゃん、ありがとう。これからも、よろしくね――
 目をつぶって、ずっと一緒だった姉に感謝をする。
 これからもずっとずっと、はやてとアリシアが、私のそばにいて――

 ――アリシア?

 呼びかければ答えてくれた声が帰ってこない。
 寝てるのかな、と思ったけれど、アリシアが眠る事なんて今までになかった。
 何度か呼びかけてみるけれど、あのころころと愛らしい声は一向に返ってこなくて。
「フェイトちゃん、どしたん?」
 心配そうなはやての声で、ふと我に返る。
「……ううん。なんでもない。なんでもないんだよ、はやて」
 そういって、またはやての温かい手のひらを握る。

 寒空の下、暖かさに包まれて。
 手をつないだ帰り道、二人並んで歩く。
 これからもずっと、ずっと一緒に――

 

 

 


「……もう、大丈夫だよね、フェイト」
 そんな二人を、遠くから見守る声。
 透けて見えるその体は、誰の目にも映らない。
 けれどその表情は穏やかで、並んで歩く二人を優しく見つめていた。
「ちゃんと、好きだって……ようやく言えたもんね。ホント、昔っから……お姉ちゃんに世話ばっかりかけるんだから」
 遠ざかる二人を、いつまでもいつまでも見守る。
 一人置いて行かれるのを、どこなく嬉しげに。
 だんだんと薄れていくこの世界との繋がりを、名残惜しむように。
「だから、これからは……一人できちんとするんだよ。心配かけるようなことしたら、許さないんだから」
 くすくすと笑いながら、誰にも届かない声を投げる。
 最後に小さく手を振って、緩やかに立ち上がった。
 うしろでする呼び声に振り向く。
「うん、ごめん。もういいよ」
 そういって、彼女は駆け出す。せかいに別れを告げて。
 愛しい妹と、別れることにして。
 それでも彼女は、振り返らない。
 歩みは力強く、どこまでも歩き続けるように。
 彼女もまた、自分の道を行くのだろう。
 それがたとえ茨の道であっても。

 小さい小さい手を前に出し、ひとまわり大きな手に重ねる。
 精一杯に微笑んで、アリシアは言った。

 


「それじゃいこっか、ママ?」

 

 

       fin.

 





オマケ


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