いつも隣には彼女がいた。
 母のように想い、姉のように慕い、娘のように愛していた。
 朝日に目覚めれば同時に起こした視線をあわせ、微笑みとともにおはようと交わす。
 昼の日差しに微睡めば、すり寄るように肩を寄せて夢を見る。
 夜の月に照らされてもの思えば、触れあって同じ体温を共有した。
 血のつながりこそなくとも、彼女は間違いなく私の家族で、大切なひとだった。
 離れることなどありえないと幼心に奇跡めいた確信を持ち、日々を過ごして。
 ずっとずっと共に歩み続けるのだと、希望にあふれた瞳で未来を語り合った。

 そんなことは幻想に過ぎないと、いつか知る日がこようとも。
 運命の神の残酷さを思い知らされることになろうとも。
 私たちはその時、確かに姉妹だったのだ。

 

  海鳴りの詩「猫の楽園」

    かいたひと:ことり




 木々の間を忍ぶように風が渡る。
 春先とは名ばかりに、夕刻の空気は肌に寒く、温もりを奪い去る。
 人通りもなくなった日暮れ時の十番町自然公園。
 水銀灯の無機質な灯りの下、ベンチに座った小さな影が一つ。
 鞄を隣に、手をぎゅ、と握りしめ、膝の上に置いて。
 身を切るような寒さに耐えるように、身体を縮こませ、少女――月村すずかはひたすらに待ち続ける。
 広がる闇に心まで蝕まれるような、そんな錯覚を払い除け。
 ともすれば零れてしまいそうな涙を懸命に押しとどめながら希望にすがりつく。
 そんなことをこの数日繰り返し、くたくたになりながら帰途につく。
 日を重ねるごとに失う物は増え、得るものは何もない。
 海の向こうへ沈む太陽はまるで嘲るように刻の流れを淡々と告げ、暖かささえ奪っていく。
 昨日も今日も、何も変わらずに、心をすり減らして絶望を抱き家路を歩く。

 だが、その日は違ったのだ。

 

 突然にばきばきと、宵闇の静寂を打ち破って、背後からけたたましい音が響いた。
 沈んでいた心は突然のことに判断もつかず、身体を硬くするにとどまった。
 一瞬の後、どさ、と大きな音を残し、あたりには再び静寂が戻る。
 本当に驚いたときは悲鳴どころか声すらも出ないものなのだと、ベンチに佇む影は実感した。
 早鐘を打つ心臓を必死で抑え、なけなしの勇気を絞り出して後ろをそっと振り向く。
 目に入ったのは、草むらから生えた足首。にょっきりと伸びる光景があまりにもシュールで、上から人が落ちてきたのだと理解するまでに、数秒の時間を要した。
 理解はしても、どうしたものか。パニックを起こした頭で二の手を出しあぐねていると、足首がぐいっと弾みをつけて上体を起こした。
「あだだ……し、死ぬかと思った……」
 闇に流れるような、金の髪。
 一見女の子かと思うような、線の細い少年。
 ぱっと見は自分と同世代だろうか。ただ少年はどう見ても日本人には見えず、もちろん自分も見かけたことはない。
 意味のわかる言葉が聞こえたことで、かろうじて日本語は通じるのだと、あまり意味のない情報だけが掴めた。
 おそらく木の上にいたのであろう少年は動きやすい格好をしていて、手足の素肌が見える部分にはあちこち擦り傷があった。
「だ、だいじょう、ぶ……です、か?」
 なんとも間抜けな台詞だなと、口にしてから思う。
 空から降ってきた突然の闖入者にかける言葉ではない、気がする。
 しかもどう見ても大丈夫には見えないし。
 中途半端に差し伸べた手を居心地悪くもてあましていると、かけた声に多少驚いた様子で少年が振り向いた。

 ――翠――
 
 覗き込んだ瞳はまるで綺麗な宝石――極上のエメラルドほどに輝いていて。
 ふっと吸い込まれそうなほどに引力すら感じた。
 目があったのはほんの一瞬なのに、長い長い時間、見つめ合ったように思える。
 そんな永遠の瞬間は、少年の一言で砕け散る。
「す……すずか、ちゃん?」
「え?」
 不意に聞こえたのは確かに自分の名前。
 けれど記憶の糸をいくら辿ろうとも少年の姿に見覚えはない。
 予想外のことに二の句がつけずにいると、眉を歪めて少年が腕を押さえた。
「あ、え、えと……ちょっと待っててください!」
 そのままベンチに置きっぱなしだった鞄へ急ぎ戻り、中から応急の救急セットを取り出す。
 何かと無茶をする友人達のために中身の消費が激しいが、それでも一通りはそろっている。
 夕闇の暗い中足早に少年へ駆け寄り、痛む箇所を確認する。
 落ちる途中に枝で切れたのか、むき出しの腕から血が流れていて。
 消毒用アルコールと猫プリントの可愛い絆創膏で手早く処置をする。
 絆創膏が小さく、3枚使ってようやく傷口をふさいだ。お世辞にも満足とはいえないが、これで一応は大丈夫だろう。
「あ……ありがとう」
 ふと聞こえたお礼に急に我に返る。
 赤くなった少年の頬を見て、自分が治療のためとはいえ、同年代の異性の肌に触れていたことに気がつき、あわてて手を引っ込める。
「う、ううん。それより、えっと……」
 そこまで口にして言葉が止まる。
 そんな様子を不思議に思ったのか、じっと男の子は私の目を覗き込んでくる。

 深い森の緑を思い出させる、どこか現実離れした瞳。
 心の奥まで覗き込んでくるような、けれど優しい瞳――
 私は、この瞳を見たことがある……このひとを。しっている?

「……あの、どこかで……会いました?」
 かけた言葉に、なぜか少年は慌てふためいて。おおげさに両手をぶんぶんとふるジェスチャーとともに、い、いや初対面ですよと、否定の言葉を口にした。
「そう、ですか? あの、じゃあどうして、私の名前……?」
「え、あ、いやその……し、知ってる人になんとなく感じが似てたもので!」
 あははは、と笑う様子が、なんだかおかしくて。知らず笑みをこぼしていた自分に気づく。
「笑った」
「え?」
「やっと、笑ってくれたな、って。さっきまで、なんだかすごく悲しそうな顔してたから。何か――あったの?」
 まっすぐに見つめてくる翠の瞳にどきん、と心臓が大きくはじけた。
 それと同時、色々なことが思い出されて。たくさんのことを考えて。
 様々な想いは私という器からあっさりとあふれて、あとからあとから、流れ出してきた。
「う――ぇ、ぐす……」
「え、あの、す……すずか、ちゃん?」
 もう、止めようがなかった。止める気もなかった。だって、私はもう……疲れ切っていたから。
「う……うあああん、うわあああ〜ん!」
 陽も落ちた夜の公園、見知らぬ少年の目の前で。


 私はいつまでもみっともなく、大声を上げて泣き続けた。

 

 


「すずねが……帰ってこないの」
 煌々と灯る街灯の下、ベンチに少年と私、二人並び座って。
 ぽつりぽつりと、ようやくに落ち着いた私は話し始める。
「すずね?」
 男の子の相づちにこくん、と頷いて、息を吸い、また重い口を開く。
「うちで飼ってる猫……私が生まれたときからずっと一緒だったの。ご飯の時も寝るときも……何をするのも一緒で……姉妹みたいに育ったの」

 物心のつくはるか前からすずねが隣にいた。
 歩き方を教わり、遊び方を教わって。同じ日に生まれた彼女と私は、名前を分け合ってつけられて。
 まるで半身のような彼女はお母さんよりも母のような存在だった。

 少し大人びた彼女は、誰よりも気高い存在だった。
 自分のことは自分でするべしと、いつも教えてくれた彼女は姉のようで。
 つんと澄ましながらも寄り添うようにそばにいてくれた。

 背丈をだいぶ伸ばした私に、彼女は居心地良さそうに膝の上で微睡んで。
 私の髪と同じ色をした艶やかな毛並みを愛でながら。
 愛しい愛しい娘のように、そっと寝顔を見守った。

 ――いつも一緒だった彼女が、ぷいといなくなったのは、5日前のことだった。

「どこかで迷子になってるんじゃないかって……探したの。いっぱい、いっぱい、探したの。でも、でも……」
 そこまで口にして、また嗚咽がこみ上げてくる。
 いくら探しても、いくら探しても、彼女はどこにもいなくて。
 万が一、もしも――などと考え始めると、何をするにも手が着かなくて。
 ここ数日、ご飯もろくに食べてない。
 目の奥に浮かぶのは、いつも隣にいた彼女の姿。
 寂しいんじゃないか。心細いんじゃないだろうか。
 心配は粒となり目から零れ落ちる。
 ふるふると肩を振るわせる私に、少年が落ち着いた、優しい声で語りかけてきた。
「ねぇ、猫の楽園、って知ってる?」
「ねこの……らく、えん?」
 きょとんとした顔で少年を見上げる。
 狐につままれたような、とはこんな時なのだろうか。
「うん、ボクの故郷で伝わってる話なんだけどね」
 そういってベンチにもたれながら、夜空を見上げて彼はゆっくりと話し始めた。
「年老いた猫の集う楽園ていうのが、この世のどこかにあるんだって。
 そこは一年中暖かで、悩みもない、文字通りの楽園なんだそうだ。
 野良猫も飼い猫も、ある程度の年をとると、みんなそこを目指して旅に出るんだって」
 ただ呆然と、彼の言葉を耳にしながら。
 そんな場所が、あるというのだろうか。
「本当にあるんだよ。だって、ボクは見たから」
 口元に笑みを浮かべながらも、そう話す少年の瞳は真剣そのもので。
 きらきらと輝かせ、まっすぐに語り続ける。
「うちもたくさん動物を飼ってたんだ。猫もいたよ。
 ずいぶんなおじいちゃんでね、ボクが3つの頃だったと思う。
 特別だぞ、っていわれて、一度だけ連れてってもらったんだ」

 大げさに身振り手振りで話す彼に、思わずくすくすと笑いがこぼれる。
 彼の話は長く続き、仕舞いには玉手箱をもらって帰ったんだとまで話がふくらんだ。
「――そうしてボクはようやく家にたどり着いたってわけさ」
 昔話かなにかなのであろう、彼の――冒険譚といっても差し支えない、小旅行のお話がそこで幕を閉じた。
 ぱちぱちぱちと、拍手をしながら、笑いすぎて痛くなったお腹を抱える。
 こんなに笑ったのはいつ以来だろう。随分と長い間、笑い方を忘れていた自分に気づく。
 胸のつかえが軽くなっていて、少し救われた気がした。
 少年にしてみれば、たわいのない慰めなのであろう。
 それでも重苦しい悲しみに潰されそうになっていた自分にはそれが何より暖かく、とても嬉しかった。
 目の端をこすりながら、呼吸を整える。
 そんな私に、男の子は微笑んで。
 小さくぼそ、と呟いた。
「――え?」
 聞こえた言葉に動きが止まる。
 ぱちくりと瞬きをする私に、少年はポケットから何かを取り出して、握らせてきた。
 ……それは緑色をした小石で、何かのお守りのように、金色の鎖でネックレスのようになっていた。
「今夜、寝るときにそれを身につけていてごらん。ぐっすり寝られると思うから」
「え、あ、あの――」
 そう声をかけるも、少年は立ち上がり、気をつけてお帰り、と言い残して、足早に去っていってしまった。
 少し後には呆然とベンチに腰掛ける自分が取り残されて。
 夢だったのではないかと思うも、手のひらにはしっかりと手応えを残す石。
 頭の中で事態を整理して、少年の名前も聞いていなかったことに気づく。
 冷たい風がびゅうと通り過ぎ、体を震わせる。
 こうしていても仕方ない。そう考えて時計を見る。
 夕飯までには家に着くように帰ろう。
 けれど家路を急ぐ私の耳には、彼の言葉が未だ離れず、何度も響いていた。


 ――うそじゃ、ないんだよ――と。

 

 


 空に煌々と、月が白く煌めく。
 月村邸は郊外の森へ隣接した閑静な場所へ、ひっそりとした佇まいを見せていた。
 その屋敷の一室。主はすでにベッドの中で小さく寝息を立てている。
 半分ほど開かれた窓から涼やかな風が渡り、春物の薄手のカーテンを優しくはためかせる。
 と、音もなく闇に紛れ、窓の隙間から室内へと小さな動くものが身を躍らせた。
 するすると影は部屋の主――月村すずかの枕元へとたどり着く。
 ひょこんと上げた頭からは、くりくりとした緑色の瞳がのぞく。
 後ろ足で立ち上がった姿はひょろりと胴体の長いフェレットに似て。
 すうすうと寝息を立てる少女の前で、なにやら前足をこすりあわせた。
 ややもせぬうちに周囲の温度が下がり始める。
 月明かりのみだった室内は徐々に緑色の光に満ちあふれる。
 それは枕元に置かれた小さな石から籠もれ出て。
 静かな寝息を立てる主をよそに、石はふわりと浮かび、天井近くでゆっくりと回りながら静止した。
 宙に浮かぶ石を見上げながら、フェレットは祈りを捧げるように前足を掲げる。
 厳かに、おくゆかしく、誰に知られることもなく、静かに祈りは捧げられる。
 石はただ静かに回り、寝顔を優しく照らしていた。

 

 


 歩いていた。
 どうということもない河原の道。
 未舗装の土は柔らかい感触を靴底へと返し、かすかに草の匂いがして、透き通った空気を感じさせる。
 降り注ぐ日差しはけして強くなく優しく降り注ぎ、横をさらさらと流れる小川の水面にきらめいて、時の流れを忘れさせる。
 かすかに風はそよぎ、流れゆく水音と重なって、気分を落ち着かせる。
 一言で言ってしまえば、いい天気であった。

 目的もなく、ただ歩く。
 代わり映えのない風景を飽きもせず眺めながら、ちらほらと立つ両岸の建物に目をやる。
 どの建物も平屋作りで、古い造りをしていた。
 風通しの良さそうな土間。軒先の物干し竿。茅葺きの屋根。
 ひょいとよそ見をした隙に、足下を何かが通り過ぎる。
 驚いて姿を追うと、ふくふくと太ったぶちの猫だった。
 猫は身軽に土を蹴って、日当たりの良さそうな板張りの廊下へ乗り上げ、のそりと身じろぎした後、大きく口を開けてあくびをした。
 無遠慮な仕草をほほえましく見つめていると、その家の奥の方から、また一匹、小柄な三毛猫が姿を現した。
 かさ、と草をかき分ける音のしたほうをみると、白猫が寝転んで毛繕いをしていた。
 それを拍子に、あちこちに小さな影が現れる。
 右を見ても猫。左を見ても猫。
 いままでどこにこれほどの猫がいたのだろうと思うほど、どこを見ても猫だらけ。
 前にテレビで見た猫小路などより遙かに多く、あとからあとから、どんどんと増えていく。
 それらを幼い子供に戻ったかのように心を浮き立たせながら見て回る。
 しっぽの長い猫。つんとすまして優雅に歩く猫。じゃれあいながらお互いの毛繕いをしている猫。
 草の上に寝そべる猫。ひらひらと舞う蝶を追いかける猫。目を細めてじっと佇む猫。
 猫。猫。猫。
 猫に埋まる河原。そこはまるで、猫の――

 ひょいと視線を漂わせた先。
 20歩ほどの距離。
 その一点が別世界のように鮮明に見え、瞬間に時が凍り付く。
 そこには深い海の底にも似た青い毛並みを持つ猫がいた。
 足が動かない。指の一本まで凍り付いたように動いてくれない。
 見紛うはずもない。そこには確かに探し求めた、最愛の人がいるというのに!
 言葉もない私に、猫は一声、にゃあ、と鳴いて。
 大好きだった長いしっぽをぴんと立て、私に背を向けた。
 待って――行かないで、そう叫びたいのに、呼吸すら止まった私にはそれすらも叶わない。
 泣きたいほどに胸が狂おしい。
 千切そうなほどに愛おしい。
 求め続けた姿は、不意に振り返って。
 短く、か細く、けれどはっきりと聞こえるように、また小さく鳴いて。
 陽の当たる場所へと、私の手の届かない場所へと、ゆっくりと歩き去った。
 私はその場を動けずにその姿をずっと見つめ続けて。
 言葉もなく、涙もなく。
 ただ立ち尽くす私に、けれど変わらず太陽は優しく降り注ぎ。
 
 ゆっくり、ゆっくりと、遠くへと――本当に遠くへと歩みを進めるすずねを、見つめ続けた。
 まばたきもせず、霞む視界にしっかりとその姿を焼き付けて。
 薄れゆく意識に、あと少し、あと少しだけと願い続け、小さくなっていく背中を見送る。

 

 たとえ目が覚めても、あの子を忘れてしまわないように。

 

 

 

「おっはよー、すずかっ!」
 朝日の中、通学路で元気な声が響く。
 鞄を振り上げて駆け寄る親友の姿を見て、微笑みながらおはようと返す。
 途端、親友の動きがぱたと止まって。
 不思議そうな顔をしながら、神妙な面持ちで屈みながら見上げてきた。
「あ……アリサ……ちゃん?」
 まるで突如見つかったUMAのような扱いに耐えられず、弱々しく声を出す。
 親友はやおら立ち上がると、むに、と私のほっぺたをつかんで、左右に引っ張った。
「ひ、ひゃりはひゃん、ひ、ひらい、ひらいよ〜〜〜!」
 情けない声を出す私に、親友は怒ったような顔で。
 ふう、と息を吐き出すと、ようやくほっぺたから手を離してくれた。
 ひりひりとする頬を撫でる。
「ひどいよ、アリサちゃん、いきなり何を――」
 抗議をする私の眼前に、びっと指が突きつけられた。
 親友の顔は確かに怒っているように見えたのだけれど、なぜか私には――泣いているようにも見えて。
 ぐっと体を乗り出して、触れそうなほどに瞳が近づいた。
 魅入られたように私はその場に凍り付いて。
 心の中まで見透かされるような感覚を覚えた。
「……もう、大丈夫、なのね?」
 けれど親友の口からは、とても優しい、そんな一言が籠もれ出た。
 ぽかんと口を開けて、今の言葉がようやく頭に入ってきた頃。
 なんだかすごく、すごく救われた気がして。
 じわ、と目頭が熱くなるのを感じて、あわてて私は短く――うん、とだけ返事を返す。
「アリサちゃん、知ってたの……?」
 何を、とは言わない。これは自分の問題だと、私は誰にも相談できなかった。ううん、しなかった。
 すずねはアリサちゃんも会ったことはあるけど、いなくなったことは言ってない。
 まるっきり叱られた子犬の顔で、おそるおそるに顔色を窺う。
 そんな私に、親友はぷいっと背中を向けて、学校へ歩き出す。
 一瞬遅れて、ぱたぱたと急いで後を追った。
 こちらを見ようともしない親友はすたすたと早足で歩いていく。
 数歩後ろを足音を殺して歩く。そんな私に、背中越しに声が聞こえてきて。
「別に――何があったとか、そんなことは知らないけど……すずかの様子がおかしかったことぐらい見てればわかるわよ。どうみたってアンタ――へたれてたじゃない」
 う゛……私は気づかれまいと、必死に隠して、普通に振る舞っていたつもりなんだけど……
「すずかは隠し事が下手なのよ。ずーっと泣きそうな、暗い顔して。バレバレじゃない」
 そういわれてずずんと落ち込んでくる。心配かけたくなかったからなんだけど……逆効果、だったのだろうか。
 下を向いて脱力してる私の襟を、アリサちゃんが不意に掴んで、ぐっと引き寄せた。
 くっつきそうな距離で、また、あの、怒ってる――泣きそうな顔で、ただ、一言。
「――私たち、友達でしょ?」
 ずきん。
 その言葉は、干からびていた私の胸に深く突き刺さって。
 親友の訴えるような、責めるような瞳に打たれて。

 ああ、そうだ、私は……私たちは――友達、だったじゃないか。

「ふ……ぇ、っく――」
 思わず。
 喉が震えて。
 なぜ、忘れていたのだろう?
 私はすずねを失ったかもしれないけども。
 すべてを無くしてしまったと思い込んでいたけれど。

「ち、ちょっと、すずか、こんなとこで泣かないでよ!」
 迷惑そうな声。
 私を想っていてくれる暖かい声。
 そうだ、私は。
 いつもいつも、この声に、守られていたんだ。
 それはけしてすずねの代わりなんかじゃない。
 アリサちゃんはアリサちゃんで。
 いつまでも私と一緒にいてくれる。
 たとえいつかすずねのように別れるときがこようとも。
 今この瞬間に、その綺麗な瞳に私を映してくれる。
「う、うん、ごめ……ごめ……んっく、ひっ……」
 めいっぱいに笑顔を作ろうとしても、どうしても嗚咽が出てきてしまう。
 何度か深呼吸をして、心を落ち着けて。
「アリサちゃん――ありがとう」
 心から、感謝を。
 口から自然に出てきたのは、そんな言葉だった。
 そんな私の顔を見たアリサちゃんは、なぜか顔を真っ赤にして。
「わ、わかればいいのよ、わかれば! だいたいすずかはいつもぼーっとしてるんだから、あたしが世話を焼かないといつまで経っても――」
 そんなふうにしどろもどろに、けれどどこか嬉しそうで。
 胸の内が熱くなってくるのを感じて、私は。
「うん。ありがとう」
 もう一度、短く告げた。

 


「アリサちゃーん、すずかちゃーん、おはよー!」
 そんな声が聞こえた先には、なのはちゃんとフェイトちゃんが並んで歩いていた。
 おはよう、と挨拶を返して。
 朝日の中を4人並んで、歩き出す。
 陽の当たる河原、優しい時の流れに包まれたように。
 あの楽園に、彼女はいつもいる。
 もう会うことはできないのかもしれないけれど。
 短く、にゃあ、と。しっかりしろ、と叱ってくれて。
 すずねに会いたければ、あの太陽を見上げよう。
 溢れてくる涙を隠すように、あの空を見上げて。
 その暖かい光で、いままでも、これからも。
 ずっとずっと、すずねは、私と共に歩き続ける。
 私の中に、彼女は生きているから――

「あ、出てきちゃだめだよ、ユーノくん!」
 するするとなのはちゃんの鞄の中からひょろ長い体の生き物が飛び出た。
 なのはちゃんの肩の上、定位置に収まったユーノくんは、得意そうにくりくりとした目をめぐらせて。
 きょろ、と緑色の瞳で、私を見つめてきた。

”――よく、眠れた?”

「――え?」
 きょろきょろと辺りを見回す。
 どうしたの、すずか、と声をかけられて。
「……なのはちゃん、何かいった?」 
 ううん、と首を振る友達に、怪訝な表情を向けて。
 空耳だったのかな、と思い直す。
 早く早くとせき立てる友達の後を追い、駆けだして。
 暖かい光の中、祝福されたように。
 
 振り返る彼女の姿を思い出す。
 すずねの言葉はすべてわかるつもりだった。
 私たちは通じ合って、いつも一緒だったのだから。
 けれど最後、ひとつ上げた声。
 彼女は――なんと言ったのだろう。
 私を見て確かに囁いた言葉。
 しっかりやれ? 元気でいなさい? 頑張るんだよ?
 なんと言ったのかは未だにわからない。
 きっと私は、一生をかけてあの言葉を探すのだろう。
 ――でも。
 彼女は間違いなく。
 『さよなら』とは言っていなかった。
 だから彼女は、いつまでも一緒で。
 もう二度と私たちは、離れることもなく。
 柔らかい光の中、並んで歩いていく。
 ずと、ずっと一緒に――


「ほらすずか、遅刻するよ−!」
「すずかちゃん、早く早く!」
「すずか、走れる……?」
 私を呼ぶ声がする。
 いつも近くで、ずっと囁いて。
 この陽の当たる世界で、たくさんの声と出会い、私は生きていく。
 いつも近くにいる、もう遠くへ行ってしまった姉と共に。

 

 

 わたしたちは、いきていく。

 

 

 

 

          fin.

 







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