「きゃあああああああああああっ!」
白昼、清らかさを現すような真っ白い校舎に絹を引き裂くような悲鳴がこだまする。
ここは私立聖祥大学付属中学校。
ある程度の資産と学力を供え持った女生徒が通う、いわゆる超お嬢様学校である。
小学校から大学までエスカレーター式であり、一貫して顔ぶれがほぼ変わることのないこの学校に、創立百数十年以来、かつてない未曾有の危機が訪れていた――――。
はやてさんのお料理メモ 「信頼と復讐のマリネ」
かいたひと:ことり
「会長……今回の犠牲者もやはり、同じです。」
「現場に目撃者は二名……証言は取れましたが、犯人の特定にはまだ……証拠が不十分です」
重苦しい声を背中で受けて。
風紀委員長・八神はやては、窓の外をじっと眺めながら、深く深くため息をついた。
答えの返ってこない姿を見つめ、報告を告げた女生徒が、重圧に耐えかねたように口を開く。
「あの……会長、やはり風紀委員会だけでは、今回の事件……手に負えないのではないでしょうか? ここはやはり、当初の予定通り、生徒会・教師陣と連携を取って……」
その声に。
微動だにすることなく、いくぶんか小さく見える背中を向けたまま、はやての返答が遮った。
「――あかん。この件だけは、他の手を借りるわけにはいかんのや……我が風紀委員会のメンツにかけても、犯人は見つけだしてみせる……!」
会長、と叫びだそうとした女生徒を、もう一人の同伴者が左手で諌める。
こうと決めたらテコでも動かない。それが、自分たちが仕えてきた主、八神はやてなのだから。
「……承知いたしました。ですが会長……独自に仕入れた情報によると、すでに生徒会は外部に協力を申し出たと……」
「……なんやて?」
持参した封筒から、数通の書類を取り出す。
それぞれには写真と、簡単なプロフィールが記されていた。
「そんな、まさか……なんでや? なんで、この子らが……」
驚愕を隠し切れない。目の前に広げられた書類には、運命のいたずらとしか思えない名前が載っていた。
「奴らの言い分では、生徒会の人間が動くのでなければかまわないのだろうと、そういう屁理屈を持ち出してきております。
確かにこの両名は生徒会にこそ所属はしておりませんが……素行不良な点もあり、正直、どういった人選で持ち出してきたのか……私どもには判断つきかねます」
「……いや、奴らの判断は正しいかもしれへん。……ある意味、彼女ら以上の適任者は……おらんかもな」
その言葉の意味を図りかね、二人の女生徒が困惑の表情を浮かべる。
斜陽に照らされ、長く伸びた影はそれ以上を語らず。
やがて長い沈黙の後、失礼します、とだけ言い残して、部屋の中にははやてだけが残された。
「……なんでや……なんで、こんなことに……」
ぎり、と唇を噛み締めて、窓から夕焼けに染まる初夏の空を仰ぎ見る。
夕日を浴びて赤く染まる書類。そこには2名の名前。
――高町なのはと、フェイト・T・ハラオウン。
あまりにも聞き慣れた、その文字が記されていて。
「世界はいつも……こんなはずやなかった事……ばっかりや」
冷たいコンクリートの部屋に、ただその声だけが……いつまでも、残っていた。
ぱたぱたと上履きで駆けてくる音。
私立聖祥大学付属中学校3年、高町なのはは、駆け寄ってくる親友の姿を見つけ、手を振った。
「フェイトちゃーん。お疲れ様。……どうだった、そっちは?」
金髪に紅の瞳。一見外国人に見える彼女の口から、流暢な日本語が流れ出す。
「今までの目撃者に当たってみたけど……駄目だね、身体的特徴とかは一致するんだけど、該当者が見当たらないよ」
「そっかぁ……被害者も、学年・クラス・交友関係・親族、ぜーんぶバラバラ。面識すらないってのが、ほとんどだったよ」
この忌まわしい事件が最初に起こってから、すでに3ヶ月。
その間犠牲者はうなぎのぼりに増え、未確認を含めれば3桁に上ろうとしている。
犯人の姿を見たものもかなりの数いるのだが、すべて的を得ない答えを返すばかりで、ようとして犯人像はつかめていない。
「……ただ、ひとつ……共通することがあるとすれば――」
そこで、なのはは一旦言葉をとめた。おそらく、自分の考えは正しいのだろう。犯人の目的は多分、これ以外ではありえない。
だが、いったい何のために? そして、その意味するところは?
思考はぐるぐると巡り、一向に形を取らず、パズルのピースはかみ合わない。
壁に手をつき、じっと動かないなのはをみて、フェイトはかぶりを振る。
今回の事件は、今までのどんなものより奇怪で……そして、難解そうだと感じながら。
その時。
「――――なのは、今!」
「うん、私も聞こえた! 急ぐよ、フェイトちゃん!」
二人の常人離れした聴覚は、確かに遠くはなれた場所に響く、女生徒の悲鳴を聞き分けていた。
そして二人は、胸に煌くペンダントを握り締め、空高く掲げて、同時に叫んだ。
「レイジングハート・エクセリオン!」
「バルディッシュ・アサルト!」
『セーット・アーップ!』
「いや……いやぁっ!誰か、誰か……たすけてぇっ!」
グラウンドの片隅。木々の生い茂る自然林の中、息を切らせ、血走った目で必死に逃げる女生徒。
走るうちに枝に引っ掛けたのか、すでに制服のあちこちが破れ、ぼろぼろになりかけていた。
「あうっ!?」
不意に足がもつれ、その場に倒れこむ。ずきんと足首に痛みが走り、恐怖に汗がにじんだ。
早く、早く逃げなければと焦る彼女の目に、後ろから近づいてくる影が映る。
無言。何も言わず、獲物の足が止まるまで執拗に追いかけてくる影。
その得体の知れない風体と殺気に押しつぶされそうになりながら。
ただたすけて、たすけてと、歯をがちがちとかみ鳴らし、震える両手で身体を抱きしめて助けを乞うていた。
そしていままさに、獲物へ毒牙が伸ばされようとしたとき――――
『そこまでよっ!』
朗々と響き渡る高らかな声。
見上げればそこには、白と黒に身を包んだ二人の少女が、それぞれ杖を手に、影をにらみつけていた。
「何が目的でそんなことをするのか知らないけど――」
「――私たちの学園を荒らした罪は……償ってもらうよ!」
いって同時。ふた振りの杖から、がしゃ、と金属音がして、薬莢が排出される。
瞬間、薄暗かった周囲が昼間になるのを見て、女生徒は目を閉じた。
耳に聞こえてきた言葉は二つだけで――
「ディバイン・バスターっ!」
「フォトン・ランサー!」
宵闇を切り裂く二条の閃光は迷うことなく真っ直ぐに影へと伸び進み、その姿を浮かび上がらせる。
ただの、一瞬。光の中に浮かぶ影は、輝く光の槍の前へ手を伸ばし――一一言だけ、呟いた。
「……パンツァーシルト」
かざした掌に、力ある言葉に答えた魔力が収束し、壁の形を取る。
驚愕に目を見開くなのはとフェイトの前で、影は怯むことなく、放たれた攻撃を受け止めた。
光は少しの間まばゆい粒を撒き散らし――収まった後には、何事もなかったかのように、影が佇んでいた。
「――そんな……魔導師!?」
手加減を加えたとはいえ、実戦で鍛えられた二人の攻撃を軽く防がれた。
この人は……コイツは、危険だ――!
「バルディッシュ!」
<Haken
Form!>
愛杖を瞬時に鎌の形に変え、右へ左へ、慣性を無視した動きで飛び掛る。
一撃で決めないと……逃げられる!
「はああああああっ!」
細く息を吐いて、標的を間合いに収める。このタイミングなら……いける!
そう確信して、必殺の一撃を放とうと振りかぶった瞬間――相手の姿が掻き消えた。
「――!?」
地面へ激突する瞬間に急制動をかける。土ぼこりを上げ、地へ片手をつき、必死で体勢を立て直して影の姿を追う。
躊躇する間もなく、それは突然、背後から聞こえてきて。
「――ブラッディ・ダガー」
瞬時に魔力が収束するのを感じ、怖気が立つ。
視認するよりも早く、自身を取り囲む空間に、十を軽く超える殺意が発生する。
迷う暇などなく、緊急にカートリッジをロードする。一発。足りない。もう一発!
<Defensor
Plus!>
デバイスの声と共に、半円形の防御壁が展開を開始する。――間に合うか!?
ありったけの精神を壁の維持に回そうと、ぎゅっと杖をにぎる手に力を込めた瞬間、殺気がいっせいに飛び掛った。
――大出力魔法を放ち、再チャージ中だった、なのはの方へと。
「きゃああああああああああっ!」
悲鳴を上げて、爆煙に包まれるなのは。
何が起こったのか、理解できなかった。かなりの距離にいたはずのなのは。
それなのにコイツはいともたやすく、瞬時に攻撃を当てた……遠隔攻撃型か!?
それならこの間合いにいるうちに……討つ!
いまだ展開途中にあるバリアの魔力流出を押さえ、制動のかかる範囲でありったけの魔力を破壊のエネルギーに転換していく。
近接距離からの斬撃強化!
<Haken
Slash!>
「こん……のおおおおおっ!」
振り向いて。確かにフェイトは見た。影の顔を。
東洋の鬼に、西洋のデーモンを足して二で割ったような、儀式か何かに使うような仮面。
鋭い牙と角が異様に目立ち、恐怖と威圧を際限なく与えてくる。
隙間からかすかに覗く口元には薄く、笑みが浮かんでいて。
ひどくゆっくりした時間の中、その動きを見ていた。
「――チェック」
その瞬間、さきほどの殺気は倍以上に増え、全力で一撃を加えようとしていたまるで無防備なフェイトへと、いっせいに襲い掛かった。
「……ちゃん――フェイトちゃん!」
私を呼ぶ声。揺り動かされる身体に鈍痛を覚え、わずかに顔をしかめる。
「う……なのは……だいじょうぶ……だった?」
ふるふると首を振り、悔しそうに眉を歪め、ため息をつく。
「私は平気……だけど、助けられなかった……」
とてつもない衝撃を受けた気がするけれども、どうやら魔法は非殺傷設定だったようだ。
殺すことなく歴戦の魔導師二人を手玉に取るその力量に、あらためて寒気を感じる。
何よりもあの姿。憎しみのオーラさえ感じさせる威圧感を思い出す。
次にあったとして、私は……はたして再度、立ち向かえるのだろうか。
かたかたと震えだす肩をぎゅっと抱きしめ、必死に自分を奮い立たせる。
「……なのは、助けられなかった……って……」
哀しい瞳で見つめてくる親友。
しばしの逡巡の後、す、と指差した先に、追いかけられていた少女の姿があった。
生きてはいるようだが……気を失っている。
無残に制服は裂け、木に背中をもたれかけて、打ち捨てられたぼろぞうきんのように。
――助けられなかった。
目の前で助けを求められて、何もできず、無様な敗北を晒して。
「……なのは」
ぎゅと、と手を握り締めて、決意を込める。
こんなことを繰り返すのは――もう、ごめんだ。
「次は……必ず、勝つよ」
「……うん」
ただ、幸せを求めて、平穏な日々をすごすために。
もう二度と、涙を流させないために。
みんなが笑って暮らせるように。
こんな悲しい被害者を出してはいけない。
ふらつく身体を気力で支え、せめて安全な場所へ運ぼうと歩み寄る。
女生徒の胸部は今までの犠牲者と同じく、若々しい素肌を晒し、漆黒に塗りつぶされていた。
そして、犠牲者のかたわらには必ず、一枚の紙が残されている。
それは今回も例外ではなく、ご丁寧に女生徒のもたれかかる木へと画鋲で止められていて。
『パイ拓、頂戴いたしました』とだけ、書き加えられていた。
「……報告は以上です。再度の被害にも関わらず、例の両名は成果を上げられず……我々に意見陳述の要請も来ていますが……いかがいたしましょう?」
女生徒の報告に、窓辺に立つ影がため息をつく。
軽く頭を振る動作の後、さしたる迷いもなく、答えを返す。
「かまへんよ。うちで掴んでる情報は全部流したって。競争してるわけやあらへんし、事件解決が少しでもはようなるなら、万々歳や」
「……了解いたしました。では、そのように」
そういって、書類を納め、くるりときびすを返す。
そのままかつかつと扉へと向かって。
「あ、一個、たのまれてくれへんかな」
ふと背後から投げかけられた言葉に足を止める。会長が頼みごとなど、何か悪いものでも食べたのだろうか?
「その……犯人との戦闘な、あんま、気にせんようにって……伝えといてくれへん?」
「……はぁ……了解いたしました。必ず」
狐につままれたような面持ちで、ずれた眼鏡の端を直す。
こんなことを頼まれるのは初めてだ。……明日は雪でも降るのかもしれない。
「え、と……では、失礼します」
「ご苦労さん」
ぱたん。
扉の閉まる音をひとつだけ残して、再び部屋が静寂に包まれる。
はやてはいつものように、窓の外を見て。少し寂しい目で、水平線の彼方へ堕ちる夕日を見ていた。
世界はいつも、こんなはずじゃなかったことばっかりだ。
そう思っても、自身の意思には揺らぐ要素などこれっぽっちもなく。
振り返って、風紀委員会会長に与えられた机の引き出しを開ける。
その片隅には、全校の生徒名簿が置いてあって。
ぱらぱらとページをめくり、順々に開いていく。
500名以上に上る顔写真には、ところどころ、×印がつけられていた。
ざっとその数、100に近く。
ペン立てからマジックを取り、またひとつ、×印をつけていく。
そのページの上のほうに見知った顔を見つけ、軽く唇をかむ。
高町なのは。フェイト・T・ハラオウン。
幼いころからいつも一緒だった、とても大切な友人。
なぜ世界はいつも、自分に厳しいのだろう。
欲望に限りはなく、叶えようとすれば必ず犠牲が出る。
それがわかっていても、己の野望を止めることなどできはしない。
すでに自分はもう――戻れないところまで来ているのだから。
「なのはちゃん、フェイトちゃん――あんたらは、メインディッシュや。今のうちは見逃しといたる。
お楽しみは最後にとっておくもんやからな……もし、それまでにできるもんなら……私を止めてみい。」
鉄の意志は揺らぐことなく。
たとえ世界の全てを敵に回しても、己の欲望にどこまでも忠実であるように。
今夜もまた、哀れな子羊が狼の犠牲になる。
狩人の追撃を振り切って。
その決着がいつくるものなのかは……誰にもわからない。
そうしてまた墓場には、一枚の紙切れが残される。
『パイ拓、頂戴いたしました』とだけ、記されて。
fin.
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