差し込む朝日。
 ちゅんちゅんとつがいの雀が挨拶を交わし、道行く人に元気を分けてくれる。
 澄んだ空気の中、静寂を往来の車が轟音でかき消して。
 野暮な音に負けないようにと、はちきれんばかりの笑顔を振りまき、竹箒でせっせと店の表を掃く。
 通りがかる老婆にご苦労様、と声をかけられて、エプロン姿の八神はやてはスマイル全開で返す。

「おはようございます。いってらっしゃいませ!」

 


 はやてさんのお料理メモ「夏の日差しの香味蒸し」

     かいたひと:ことり

 


 海鳴市商店街のはずれ。
 バーガーチェーン店「ロゴスバーガー」藤見町支店。
 商店街入り口付近に陣取ったこの店は、中ほどにある喫茶「翠屋」と並んで、付近に住む中高生(一部小学生も含む)にとっての憩いの場となっている。
 他の全国展開を広げているチェーン店とは違って、迅速提供の精神よりも味を第一に提唱しており、掲げるだけあってその味はファーストフードのカテゴリから一線を画していた。
 注文を受けてから作り始め、出来立ての味をお届けするのが基本で、肉汁溢れるジューシーな味わいが評判になっている。
 そのおかげで多少値段設定も高くなっているのだが、熱烈な愛好家も少なからずおり、少しずつではあるが全国展開を進め、現在に至る。

「てんちょー、表の掃き掃除終わりましたぁ。次はどないします?」
 掃除具入れに箒とちりとりを収め、ついでに軽く整理をして、店内に問いかける。
 声を聞いて短髪赤毛にお店のロゴ入りキャップをかぶった中年男性が顔を出した。
「ああ、八神さん、じゃトイレのほうチェックしてくれるかな」
 ちろちろとはやての顔と胸の辺りを視線が往復した。
 本人曰く「人の名前を覚えるのが苦手」だそうで、ネームプレートをしょっちゅう見ないと困るそうだ。
 他意はないのだろうけども、何度も見られるとちょっと気になる。
 けれども隠すわけにもいかず、結果苦笑いを返しながら仕事にかかる羽目になるわけだが。
 
 店内はそう広いわけでもない。
 4階建ての建物の1・2階を使う形で、客席は1階にテーブル席3つ、カウンター席が5つ。
 2階にテーブル席6つだけで、平日の下校時刻には満席になることも珍しくない。
 両階にレストルームが設置されており、1階を見終わって、2階のチェックを始める。
 汚れ、紙のチェック、水の流れ確認、手洗い用洗剤を見て、ひとまわり拭き掃除をする。
 ぴかぴかと輝きを放つ室内に満足して、時刻を見る。そろそろ開店の時間だ。
 手早く道具を片付け、軽く店内を見回しながら1階へと戻る。
 表ののぼりを出している店長が見えた。
 今日も日差しが強く、暑い一日になりそうだ。
 ちょっとだけ日焼けを心配しながら、えいっと気合を入れる。

 今日も頑張るぞ、と。

 

 


「はい、ロゴスバーガーとポテトSサイズ、お飲み物コーラMサイズお持ち帰りで、合計630円になります!」
 レジ前に明るい声が響く。
 にこにこと満面の笑顔で金額を告げるはやて。
 レジに表示される金額を、出勤前のサラリーマンがもたもたと取り出す。
 出勤、というには結構微妙な時間なのだが、色々とあるのだろう。
 内心の勘繰りは表に出さず、くるりと回ってドリンクの用意をする。
 手早く紙コップをセットして、またレジに振り返る。
 百円玉7枚が置かれて、財布から顔を上げたサラリーマンと目が合った。
 軽くほころぶ口元を何とか抑え、スマイルスマイル、と言い聞かせて声を出す。
「はい、700円からお預かりします!」


 朝一のラッシュが一段落ついたかな、という時刻。
 補充のチェックをしていると、表からなじみの声が聞こえてくる。
 また様子見にきたな、と心配性の家族に失笑する。あまり私語はしたくないのだけれど。
「お、またお姉さんたちきたんだ。愛されてるねえ、八神さん」
 キッチンの方からからかうような声をかけられる。
「狭山さん、そんなんやないですってば……あれはぜーったい、過保護なだけや」
 ぷう、とむくれて反論する。
 気にしてくれるのは嬉しいのだけれど、こう毎日毎日ではさすがに困る。こっちは仕事中なのだ。
「ははは、言えてる。俺は毎日綺麗なお姉さん方に会えて幸せだけどね。むしろ歓迎なぐらいだ」
 狭山と呼ばれた青年が軽い口調で返す。
 大学生の狭山は今日のキッチン担当。夕方の交代時間までは大抵二人で回すことが多く、すっかり顔なじみになってしまった。
 男性にしては高めの声で、気持ちよく響く「いらっしゃいませ」の声を、はやてはちょっと気に入ってたりする。
 ちなみに店長は問題が起こったとき以外は控え室で帳簿整理などを淡々とこなしている。

 などといっているうちに、がーっと音を立てて、多少がたつきながら自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませー!」
 狭山に半ば隠れるように、あわせて声を出す。内心の嬉しさを隠しながら、むくれたような顔で。
「おーす。はやて頑張ってるかー? あ、サヤマてめえ、また二人だけかよ!」
 真っ先に入ってきたのは小学生ぐらいの女の子。狭山の姿を見つけるなり難癖をつけ始める。
「お、なんだヴィータ。いちゃ悪いのか? お前が何か悪さしないかって不安でなぁ」
 キッチンから乗り出して、意地の悪い笑みを浮かべてやり返す。
 仲がいいのか悪いのか、この二人は何かと衝突するのだが、存外狭山は悪い気はしてないようだ。
 聞くと同じぐらいの弟がいるそうで、扱いには慣れていると言っていた……これでも一応ヴィータは女の子なのだが。
「はやてちゃん、お疲れ様です。あ、狭山さん、おはようございます。色々とお世話になりまして」
 くすくすと笑いながら、ヴィータとのやり取りを見ていたシャマルが挨拶をする。
「ああ、シャマルさんありがとうございます。今日もお綺麗ですねぇ……ヴィータももうちっと見習っておしとやかにだなぁ?」
 うるせー、と悪態をつきながらぽかんと手が出る。
 そのまま逃げるように客席へ走っていくヴィータを見て、怒った振りをしながら狭山はキッチンへ戻っていった。
 なんだかもう毎日の定番みたいなものなのだけれど、見ていて飽きない。
 自然に笑いがこみ上げてくるのを抑えきれず、口元に手を当てる。

 いけないいけない、補充の途中だった。
「狭山さん、Mの紙コップ、在庫どこでしたっけ?」
 いまいち在庫系はしまってある場所が覚えきれない。
 そのたびにいちいち確認するのも失礼だが、日が浅いうちは仕方ないのだと自分に言い聞かせて、聞いてしまうようにしている。
「ん? あー、ドリンク台の上。届かないかな。ちょっと待って」
 茹で上げ用の湯温をみていた狭山が腰を上げ、レジのほうに歩いてくる。
 なるほど戸棚は少し高いところにあって、はやての身長だと取り出すのに苦労するかもしれない。
 狭いレジ内を窮屈にすれ違おうとすると、ぎし、と狭山の体が途中で止まった。
 何事かと振り向くと、みなぎる闘気を隠そうともせず、そこには鬼神がたたずんでいた。
「それ以上ある……はやてに近寄るな、狭山。寄らば斬る」
「や、やぁシグナムさん。え、えと、一応いかがわしい理由じゃないから、とりあえずその木刀下ろしてくんない?」
 喉元に突きつけられた木刀に、脂汗を垂らしながら必死で弁明する。すでに顔面蒼白になっているところから、向けられている殺気は本物なのだろう。

「シグナム! 店内で長物振り回しちゃあかんて、こないだもいったやろ! ええから納めえ、そんなん!」
 むしろ日常そんなものを持ち歩いてるのもどうかと思うのだが、ひとまずはやての仲裁に狭山は感謝する。
 そのうちに白羽取りでもマスターしておかないと命に関わるかもしれない。
 不満そうに下ろされた木刀に安堵を覚えながら、外を見る。表のポールに繋がれた子犬。
 あのふわふわを見るたびなんだか癒される。また残り物持っていってやろうと思いつつ、紙コップを取り出す。
 後ろから注文をするヴィータの声がした。
 とりあえずお仕事するかな、と鉄板へ向かう。なじみのお客さんに、腕によりをかけて。

 


「でもはやてちゃん、本当にお仕事なら私たちがしますから、いいんですよ? 無理しなくても……」
 追加で注文した深煎りのブレンドコーヒーを傾けつつ、シャマルが心配そうに言う。
「だから何度もいっとるやろ? 私は前からアルバイトしてみたかってん。お金がどうこうやあらへんよ」
 事実生活費はいまだに足長おじさん……グレアム提督から十分に送られてくる。
 高校生になって初の夏休み。社会勉強のためと銘打って、この店でバイトを始めたのは7月の終わり。そろそろ一週間がたとうというのに。
「私はむしろ、変な虫がつかないかが心配なのですが。たとえばああいう」
 腕組みをしながら、シグナムがちら、と横目をやる。
 表でザフィーラをしゃがみながら撫でている狭山さん。何か話しかけているようで、なんとも微笑ましい。
 ……そんな悪い人やないんやけどなぁ、と苦笑する。
 


 時刻がそろそろ昼前にさしかかろうと言うころになって、ようやく家族が帰り始める。
 忙しいラッシュの時間帯を避けてくれるようになったのは、まだ多少なりの進歩があったということか。
 準備も万端に、店内清掃の再チェックをしていた私たちに、奥の部屋から声がかけられる。
「さ、今日も頑張ろうか。キッチンは私と狭山君でやるから、レジはお願いするよ」
 帳簿整理を終わらせて戻ってきた店長の声。
 始めて一週間の人間にポジションを任すのもどうかと思うのだけれど、まぁうまくやっているからいいのだろう。
 お昼時はひっきりなしにお客さんが来て、うまく捌ききれないとどんどん列が伸びていく。
 最初の日はそれだけでパニくって、さんざ迷惑をかけたものだ。
 こういうとなんだけど、お客さんの適当なあしらい方ってあるのだとつくづく思う。
 どちらかというと軍隊に近い管理局の規律とは全く違う、サービスという商売の人との距離。
 現場で経験しなければわからない微妙な境界線。
 机の上ではわからない社会のありように、毎日が新鮮だった。

 注文が来る。内容を読み上げてキッチンに伝える。お金を受け取って、間違いなくお釣りを渡す。
 くるりと後ろを向いて、ドリンクを用意する。返されたトレイと食器を片付けて、テーブルをさっと拭きにいく。
 急いで戻って、また注文を受ける。出来上がったオーダーをテーブルまで運ぶ。
 繰り返し繰り返し、流れ作業の中で、でも全てにやり方が違って。
 昼の1時間は、余計なことを考える間もなく、あっというまに過ぎていく。

「あ、ありがとう、ございましたぁ」
 まばらに客の残る店内。
 レジにあれだけいた長蛇の列は見る影もなく、返却されたトレイでカウンターが溢れている。
 今日の山場を乗り切った安堵で、一気に疲れが出る。
 人目をはばかることも忘れて大きく息をつく私に、店長の声が投げかけられた。
「ご苦労さん、レジ代わるから、3番行ってきていいよ。狭山君に言って作ってもらいな」
 3番とは業界用語? とかいう奴で、食事休憩の事を指す。
 なんでこんな言い方をするのか良くわからないが、とにもかくにもルールなのだから仕方ない。
 ちなみに1番というとトイレに行くという意味になる。こっちはわかるのだけれど。
「わ、ほなすんません、30分いただきますー。補充はなんとかOKですよってん」
 立ちっぱなしで少し震えてきた膝にせっつかれながら、よろよろと奥の休憩室に向かう。
「ほいお疲れ。休憩? なんにするの今日は」
 へろへろの私と違って、まだまだ元気一杯といった様子の狭山さん。やっぱり年季とか経験って大事なんだなと思う。
「ほな、ホットチリお願いしますわ。あ、ちと辛めにお願いできます?」
 最終的にお金は払うのだけれど、給料日清算で、おまけに格安で店のメニューが休憩中に食べれることになっている。
 作るのも結局は自分たちなので、その際にバリエーションを作ってとんでもないものを食べたりするのだが。
「ほほう」
 にやりと不敵な笑みを浮かべて、狭山さん。
「八神さん辛党? どれぐらいまで平気なのかな」
 どれぐらいと言われても。辛党かといわれると甘いものも好きだし、とか考えてしまう。
 まぁ無難に、お任せします、と言い残して、引きずるように奥へ消えていく。


 のちに、八神はやては述懐す。ハンバーガーを食べて泣いたのは、後にも先にもあれ一回だけだと。

 


 午後の3時を回ると、今度は客層ががらっと変わってくる。
 中高生がだーっと流れ込んでくる時間。
 店内は混み合うのだが、意外とスタッフは平穏だったりする。
 学生は先立つものが少ないうえに、本願はダベることなので、忙しいのはもっぱらドリンク作りだけだったりするのだ。
 そんなわけで自然、レジにははやてと狭山が並んで応対し、レジ打ちとドリンクを交代交代でまわすという光景ができる。
「はい、コーラのSおひとつ。120円になります。少々お待ちください」
 狭山がてきぱきとした手つきでレジを打ち、するっと振り返って紙コップをセットする。
 また振り返ってお客様の出された金額を確認し、すばやく勘定してレジからお釣りとレシートを取り出して渡す。
 そのころには注ぎ終わったコーラに蓋をつけ、トレイに静かに置く。
 ストローを添えて、お客の取りやすい様にそっと前へ出す。
「お待たせいたしました。お気をつけてお持ちください」
 ここで一礼と営業スマイルを忘れない。
 一連の流れる作業をおもわず見つめてしまい、ふと我に返ってレジに向き直る。
「……どしたの八神さん。ため息なんてついちゃって」
「いやぁ……なんていうか、やっぱ狭山さんてすごいなぁ、思てしもて。私なんてミスのないようにするのが精一杯ですもん」
 どんなに頑張っても、先達との埋められない力量という差はあるものだ。
 若いうちは力任せで何とかなるものも、熟練という積み重ねには到底及ばないことも多々ある。
 わかっていても目の前で見せられるのは、どうしようもなく引け目を感じて落ち込んでしまう。
「何言ってんの。俺にしてみりゃ、八神さんのが羨ましいよ。可愛い子がやってると、凄い絵になるもんな」
 不意にかけられた言葉に顔が熱くなる。わたわたとあわてふためいて、しどろもどろに答えるはやて。
「な、な、か、可愛いなんてっ! そんなん言われたって、嬉しないですっ!」
「わははは、そういうところが可愛いよな。若いっていいわー。うんうん」
 時々この人はいくつなんだろうとか思う。たまーにやたら年寄りめいたことを言う人なのだ。

 もじもじと所在なさげにエプロンのすそをいじってると、知り合いの声が聞こえてくる。
「はやてちゃーん。またきたよー」
 サイドに髪をまとめたなのはの姿。そのうしろにはあまりこういうとこに慣れていないのか、きょろきょろと周りを見渡しているフェイト。
「お、いらっしゃい。なんやなのはちゃん、翠屋の店番どないしてん?また怒られるで」
 この時間は翠屋のほうも似たような状況のはずで、喫茶店であるだけ向こうは今がかきいれ時のはずだった。
 夏休みは緊急の出動がない限り、翠屋の仕事に借り出される事になったと聞いている。
「今日はフェイトちゃんがちょうど非番だから、一日お休みもらっちゃった。遊びに行ってきていいって、ちゃんと許可済みだよ」
 そういって、フェイトの後ろに回る。そういえばフェイトの私服姿をここのところ見ていなかった。
 執務官はさらに多忙なのだろうから、今日は本当に大事な休日になるのだろう。
「えっと……こういう所慣れてなくて……どうやって注文すればいいのかな、はやて」
 メニューを見るも勝手がわからず、おずおずと聞いてくるフェイト。上目遣いがとっても初々しい。
 おもわず抱きしめたくなる衝動を抑えて、レクチャーされたマニュアルを友達用に解釈して説明をする。
「えと……じゃあこれ。照り焼きバーガーっていうのください」
「はいな、照り焼きおひとつ。飲み物はなんになさいます?」
 にこにこと注文を復唱する。
 続いてなのはのオーダーを聞き、フード類をキッチンの狭山にお願いして、ドリンクを先に作って持っていく。
 ちょっとだけ氷少なめに、増量サービスで。

「はい、こちらお先にお飲み物お持ちしましたぁ。ごゆっくりどうぞ……なんてな?」
 2階のすみっこに二人を見つけ、飲み物の乗ったトレイを静かにテーブルに置く。
「あはは、はやてちゃん、すっかり慣れたみたいだね。私もこういうバイトやってみたかったな」
 ころころと笑うなのはに苦い笑顔を返す。
「いやー、私なんてまだまだや。一緒にやってる人とくらべてしもて、どうにも落ち込むわ。
 ……武装局の方はどうなん? 教導員資格も狙っとるて聞いたんやけど」
 なのはがエースと呼ばれるようになってからすでにかなり立つ。
 それこそ精鋭揃いの武装局員の中で、一歩抜きんでた活躍をしているなのはを見て、一種尊敬の念を抱く。 
「そりゃあ大変だよ。今までラッキーでやってこれたけど、武装局なんて年季と実績の世界だもん。
 うかうかしてたら新人に仕事奪われちゃいそうで、ゆっくりする暇もないんだよー」
 深く息を吐き出してテーブルに突っ伏すなのは。
 脱力の仕方も堂に入ったもので、相当苦労しているのが伺える。
「あ、でも教導員資格のほうは、リンディてい……総督とクロノ提督が援助してくれて、短期コースで申し込めそうなんだよ。フェイトちゃんも一緒に」
 かわって花が咲いたように明るくなる。
 こういうころころと変わる表情に魅せられる。
 人をひきつけるというのは才能に近いものがあるのかもしれない。
「提督、なのはの事となると目の色変わるから……私にまで一緒に受けにいきなさい、なんて説教してきたんだよ」
 半分困って、半分嬉しそうにフェイトが漏らす。
「クロノくんはなのはちゃんより、どっちかっていうとフェイトちゃんにご執心のように見えるけどなぁ。
 可愛い妹の事やから、何かと世話焼きたがってるようや。
 シスコンも大概にせえて、こないだ怒ったばっかやねんけどな」
「し、シス……」
 それだけ言いかけて、ぷいと壁のほうを向くフェイト。からからとコーラをストローでかき混ぜながら。
 耳まで赤くなってるのは隠しようもないのだが。
「こっちはこっちでブラコンかい。なんやもう、ごちそうさまていうしかないやん」
 ぶすーと渋面のはやて。なのははもう笑うばかりで、フェイトはしばらくの間居心地の悪さに困っていた。

「はやてちゃん、今日何時までなの?」
 言われて気づく。そういえば今日は5時あがりだから、そろそろ上がる時間だ。
「あ、そろそろあがりやわ。なんかあるん?」
「じゃ待ってるから、一緒に帰ろうよ。うちでお泊り会久しぶりに開こうかと思って」
 そういえばしばらくお泊り会なんてやってないな、と思い返す。
 一応明日の予定をなぞり、問題ないなと確認した。
「あー、じゃ一度家に帰って着替え取ってくるわ。夜までにはなのはちゃん家に着くと思う」
 思わぬイベントにうきうきしてくる。
 日々を仕事に埋もれて忘れかけていたが、自分もまだ高校生なんだな、と思った。
「あ、はやてちゃん」
 一度下に戻ろうとしたところを、なのはが呼び止める。
 友達の顔から、戦士の顔になって。
「例の件、私たち、待ってるから。いつでも飛んでくからね」
 背中を後押ししてくれる友達。はやての夢を夢と笑わず、同じ方向を見てくれる。
 思わず目頭が熱くなるのを感じ、表情をきり、と直して返事をする。
「うん、正直何年かかるか……できるかどうかもわからへん。
 せやけど、待っててな、なのはちゃん、フェイトちゃん。私、必ずやり遂げてみせる……いつか、3人で」
「いつか、3人で」
「いつか、3人で」

 

 

 1階には客の姿もなく、平穏無事だった。
 思いがけず話し込んでしまって、時間を空けすぎたかなと反省するが、現場は何とかなったようだ。
 レジ前の掃除用ふきんに消毒液を吹きかけ、テーブルをひとまわり。
 意外に椅子の陰なんかにポテトが転がっていたりして、清掃は気が抜けなかったりする。
 ついでにトイレも確認して、レジに戻る。
 補充をチェックしていると、控え室のほうからどやどやと話し声がしてきた。そろそろ交代の時間のようだ。
「狭山くん、えーと……八神さん、お疲れ様。表一回見てきてもらえるかな。それで今日は上がっていいよ」
 奥から顔を出した店長。またネームプレートを見つめて。……慣れるのはまだ先になりそうだ。
「へーい、わかりました。んじゃ野田、あと頼むわ」
 鉄板のコゲを掃除していた狭山さん。ちゃっちゃっと軽く片付けて、交代の人にヘラを渡した。
「ほい、行くよ八神さん。ふきん持って」
「あ、はいな、了解ですー」

 

 西日がとても眩しい。夕焼けにはまだ早いという時刻。
 人通りもまばらになり、買い物客の往来もやや途絶えがちになる。
「向こう三軒、両隣……っと。こんなんでいいですかな、大佐殿」
 箒を左手に、敬礼の姿勢を取っておどけてみせる。
 ガラス戸を拭いていた狭山がいったん手を止め、左右を見渡した。
「ん、OKOK。カンとかビンはちゃんと分けといてね」
「はーい、だいじょぶです。じゃ仕舞っときますわ」
 にこにこと掃除用具を片付ける。一日の終わりを掃除で締めるというのはとても気分がいい。
 立つ鳥跡を濁さずというのは、実にうまい言葉だなと妙に感心する。

 振り返ると、窓を拭いていた狭山と思わず目が合った。
「あ……」
 一言呟いて、狭山の手が止まる。はやてもなんだか目をそらせずに、お互いの間に妙な空気が流れる。
「……あの、八神、さん」
 突然かけられた声に、ふと我に帰る。あわててぱたぱたとエプロンをはたき、なんでしょ? と答えた。
 そんなはやてを見て、なんだか嬉しそうに、けれど緊張した面持ちで、狭山が続ける。
「あの、よかったら……バイトの時間以外でも、会えないかな。俺、八神さんのこと、もっと知りたいって……思ったんだ」
 ときん、と胸がなった。
 それがどんな意味か、頭に内容が伝わるまで若干の時間を要した。
 理解するとともに、ぽーっと顔が赤くなるのを感じて、思わず頬に手を当てる。
 何と答えていいか迷っているところに、追い討ちがかかってくる。
「俺と……付き合ってくれませんか、八神さん」
 真正面に見つめてくる視線。優しい声。この感覚がなんというかはまだわからないけれど。
 見られているのが恥ずかしくて、つい俯いてしまう。
 いつのまにか両手をぎゅっと握り締めて。
 ぐるぐると回る頭で、必死に答えを探す。
 長いようで短い沈黙の後、妙に冷えた頭で、とうに出ている答えを口にした。
「……ごめんなさい、私、守りたい人がいるんです。その人、とっても強くて、私なんかが隣にいても邪魔かもしれない……けど、なんか力になりたいって、そう思ってて。せやから……ごめんなさい……」
 重い空白がのしかかる。遠く車の走る音を耳にしながら、ただじっと答えを待つ。叱られた子犬のように。
「……そっか。ごめんな、こんな事言って。俺、時々変な事言うからさ、気にしないでくれよ、ははは」
 ぱたぱたとふきんを振って、お客に向けるあの笑顔で、狭山が笑う。
「狭山さん、とっても素敵な人ですもん。きっと私なんかより、もーっといい人見つかりますよ」
「そだな。八神さんがいうなら、きっとそうなんだろ。気長に待つとするかねぇ」
 そういって、ひとつ背伸び。
「ほれ、かたしたら早く着替えて帰りな。夕方からまた混むんだから」
 時計をみるととうに5時半を回ろうとしている。この後に予定があったことを思い出し、あわてて店内へ駆け戻るはやて。
「ちゃんとタイムカード忘れずに押すんだぞー」
 そんな声援を受けて、お先に失礼します、と言い残して、はやては風のように去っていった。
 あとにはただ、力なくキュッキュと窓を拭く狭山が残されて。
「八神さんより、いい女ねぇ……何百年かかるかな」
 口元には軽く微笑み。ガラスに映る顔をなんとなく、こぶしで軽く叩く。
「はは……俺、カッコ悪りい」
 西日に照らされて幾分陰を深くした背中を、遠くからカラスが慰める。

 しばらくの間、キュッ、キュとガラスを拭く音は続いていた。

 

 


 朝日の差し込む中、箒で掃く音がする。
 道行く人におはようございます、と笑顔を振りまいて。
 今日も一日いい天気になりそうだ。きっと、いっぱいお客さんが来るだろう。
 ぱん、と両頬を叩いて気合を入れる。
「んじゃ狭山くん、八神さん、店内頼んだよ。僕は奥にいるからねー」
「げ、店長たまには手伝ってくださいよ。また夕方まで俺らだけっスかぁ?」
 店内からいつもの声が聞こえる。
 慣れって言うのも実は限度があるのかもしれない。
 そんなことを考えながら、掃除用具を片付ける。風をはらむのぼりのばたばたという音を聞きながら。

「いらっしゃいませー!」
 自動ドアの開く音を掻き消すように、狭山の声が響く。
 今日も忙しくなりそうだ。光り輝く太陽を見つめながら、今日も頑張るぞ、と言い聞かせるように。
 エプロンをくい、と正して店内へ入っていく。今は、ここが私の戦場。
 きっとまだまだ、私の知らない世界がたくさんある。
 だから今はまだ、ただ前へ進むだけ。
 後悔なんてあとになってから思う存分すればいい。
 大きく息を吸って、胸いっぱいの元気を込めながら、私は言う。

「いらっしゃいませぇ!」

 


 今年の夏を、きっと私は一生忘れない。

 

 

 

 

                        fin.

 







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